翁は莫大な私財をすべて四国新道建設費に充てて、あばら家にうつり住む。以来、食事にも事欠き服は粗末なものしか着れなかった。そのため高知知事に面談に行った時には、応接室に通されず用務員室で待たされた。そこで県庁吏員に汚い言葉をうけるが、翁は身分を明かして、四国新道の必要性を相手にも分かるように説いていったという逸話がのこっています。
讃岐鉄道開通時の祝辞「塩飽諸島を橋台となし山陽鉄道に架橋連結せしめなば、常に風雨の憂ひなく、午後に浦戸の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得る。実に南来北行東奔西走瞬時を費さず、其国利民福是より大なるは莫し。」は余りにも有名。
口語訳(現代文訳)してみます。「(瀬戸内海にある)塩飽(しあく)諸島を土台にして(本州の)山陽鉄道まで橋を架け(讃岐鉄道と)連結させれば いかなる時も(舟のように)風や雨の心配などしなくていい。午後には浦戸で釣りを楽しみ敦賀で夕涼みができるほど、四方をスグに往来できる。その利便性も県民の受ける福益も、この大鉄橋ほど優れたものはない」
今から130年も前に、香川から本州まで架ける巨大鉄橋をイメージしていたのです。そしてそれを造るのは、四国の町が全て鉄道で結ばれた時だとしています。これだけの大偉人・大恩人がいたからこそ、今の香川があるのですね。
そして香川といえば手袋産業。東かがわ市の手袋シェアは、全国の90%を占めているそうです。製塩業が衰退してしまった明治期の白鳥(しろとり)地区に手袋製作所を設け、産業発展の土台をつくったのが棚次辰吉(たなつぐたつきち)翁。
その後、第一次世界大戦特需(戦争景気)で海外への手袋輸出が増え、産業の基盤が確立する。
翁が手にしているのは世界特許を取った自作の簡易手回しミシン(軽便飾縫機)で、海外視察や先端技術研究導入にもひときわ熱心だった「香川手袋産業育ての親」。
で・・・今日は何を書きたかったのかといえば、前回ご紹介した試作動画には、大久保諶之丞翁や棚次辰吉翁の紹介なども ちらっと書きたいなぁ・・・なんて考えているということです。あの動画を見て「このバカ、またオカシな字幕を付けるんだろうな」と思ったあなた、正解です^^;そして単なる日本のオタク趣味でしかなかったコスプレを世界の文化へと昇華させた香川の偉人・松永亜矢香さま。大久保諶之丞・棚次辰吉・平賀源内・松永亜矢香を「香川の4大風雲児」と言う、わけないないわな(-。-)y-゜゜゜
さて、うどんさんは何年か前から「香川」という強いアイデンティティを持っていた亜矢香のコスプレ感性を掴まえようと試み続けてきたのです。つまり亜矢香コスプレと香川県の関係解明ですね。そしてたどり着いたのが・・・
これです。現代では宗教的な意味合いは薄れてます。日本中そして世界各地から、あまたの人々がお遍路さんやりに四国へとやってくる。巡礼用品ショップ(これがまた沢山ある)で揃えた装束を身に着け、「お遍路コスプレ」をして八十八か所巡りをやるんだけれど、四国の住人なら お遍路さんに出会わない日は無いといっても過言ではないでしょう。
亜矢香コスプレは、体の細部にいたるまでしっかりと演技されているんだが、この感覚はおそらく幼いころから日常的にお遍路コスプレフル装備を目にしてきた中で培われたものじゃなかろうか。
そしてあの豊かな彼女の表情は「香川の海」が育んできたものに違いない。上の版画は歌川広重で、海にある山・讃州五剣山。瀬戸内の海は干満差の大きな、みどり色をした美しい多島海で、その表情を刻々と変化させまする。
うん、この表情。
ところで香川県は東部と西部は別世界。方言も地域文化も違うけんor違うきん。これは廃藩置県の時、高松藩と丸亀藩・他の小さな藩をくっつけて一つにしてしまったからおきた現象です。そしてこの地にあった藩はどれも官軍に反抗的であったため、明治政府が考えた「後世への見せしめ」を受けることになったのですね。「県名と県庁所在地を別名称にする」という、例のあの狡猾な差別。これが香川の県庁が高松になった理由なのでございます。(追記2015.12.1 香川が高松県にならなかった理由と書いたほうが分かりやすいですね)
ああ、話はまたまた変な方向に行ってしまいましたが、これからあと数回、香川関連の記事を書かせていただきますので悪しからず ( ^^) _旦~~ では
ああ、話はまたまた変な方向に行ってしまいましたが、これからあと数回、香川関連の記事を書かせていただきますので悪しからず ( ^^) _旦~~ では