2017年3月16日木曜日

「鳥寄さる」と「鳥寄せら」

うどんさんが冬の時期に毎朝してるのは、「鳥寄せ」ではなく「鳥寄さる」なんだ。便宜上、「鳥寄せ」って言ってるけどね。鳥さんは人の顔を覚えるから、「食料」を持っていつもの場所に行くと、「寄さってくる」
3月の八戸・新井田(にいだ)川。よくいるのがセグロちゃん、ユリカモメさん、カワウちゃん。コハクチョウさん、ワシカモメさんに成鳥になった留鳥のウミネコちゃんたち。その他いろいろ。カモ類は種類が多いので、いちいち書かない。鳥さんって、視力が人間の7倍もある。だから、信じられないくらい遠くの事が目に入る。で、ぼくが行くと(たぶん)2~3キロ先からも「寄さってくる」 数羽しかいなかった場所・あたりに鳥がいなかった場所はが、たちまち鳥だらけになる。ユリカモメさんたちは愛想がいいから、頭上で嬉しそうに鳴きながら、歓迎の旋回を始める。
いわゆるシナントロープ(人間の造った環境を利用して暮らす生き物たち)は、いつも、よく人間を観察している。なかんづく鳥類は、その人間がどんな感情を自分たちに抱いているか、瞬時に見抜く能力に長けている。彼らは人間への警戒・避難を怠らない。なにしろ、命にかかわる事だから。しかも、人間への強い興味・感心を持ちながら。さすが過適応から逃れ、生き残り、今もなお進化を続けている食物連鎖の頂点にいた恐竜族の子孫だなと、いつも思う。
ぼくは人類の落ちこぼれ&プライド皆無の人間なので、「自分の命は、鳥さん・虫さん・草木さんたちと同等・同価値」と率直に感じているんだが、そのせいもあってか、みんな気を使わずに接してくれる。まぁ、別の言葉でいえば、鳥さんたちから舐められているんだな。人間のくせに、用心しなくてもいいヤツだとね。わはははは。
さて、そんな彼らが気を使わないと、どうなるか。マガモやオナガは足に上がってくるし、ウミネコは頭の上に留まる。なかには顔の前でホバリングしてキスしてくるのもいる。コハクチョウは翼を広げて、ぼくの体をツンツンつつくといった具合。およそ、野生動物らしからぬ行動をとりだす。
動植物や虫さんたちと意思疎通させるのは、子どもの時からの憧れだった。大学に入って競馬に熱中し出した時、間直之助(はざまなおのすけ・1899-1982)という奇人を知った。馬主としても知られていたハザマ建設(間組)の取締役をやっていた人だ。ハザマは黒部ダムや早明浦ダム、青函トンネルなどを造った名門建設会社。そこの社長さんが、パドックの馬の表情から勝ち馬を推測する、なんて本を書いていたのだが、当時のぼくには、その文の真意がわからなかった。
それから20年ぐらいたった頃の事。十和田市の図書館の蔵書に、間先生の『サルになった男』という本を見つけた。表紙の写真を見て驚いた。となりにいるサルと著者の心の距離感が、まったく無い。詩的な表現で言うと、著者はサルと「まったく同じ命」になっている。こりゃ、すごい。ものすごい。ぼくは、とてもこの次元にまでは行けない。
間先生は名門建設会社の子息として生まれながらも、野生動物が大好きで、東京大学の動物学科に入学した。けれども、ゼミで動物を殺傷したり解剖するのに耐えられず、授業をサボり上野動物園に行くことを常としていた。だから、4年時の卒業審査の時、指導教官から動物学者失格を宣告されてしまい、早々に郷里の別府に帰ったという。そしたら後日、卒業証書が郵送されてきたそうだ。
(手持ちの間先生の本はこれだけ。法政大学出版局の本の帯に「勝ち馬の的確な科学的予想は本書で!」と書いてあるのが昔くさくてオカシイ)
ぼくは間先生の著書が手に入り次第、可能な限り注意深く読んだ。動物と意思疎通させる秘伝のようなものが、必ず書いてあると確信していたからだ。そしてそれは、案外早く見つかった。『全集・日本動物誌14』に収められてある「サルの愛情」(単行本にもなっているが)という論文の中にあった。以下、少し長い引用をしてみる。
「従来いわれていたような(動物の)表情運動というものは、実はそれがわれわれに表情だと感じとられた瞬間には、すでにそのずっと以前に消滅し去ったもので、つまり情緒が表出した実体の残像であるにすぎない。あたかも人々がいま見ている星がすでに過去の虚像であり、いま聞いた雷鳴がすでに過去の名残であるように、最初相手の情緒が運動神経や表情筋に働きかけ、それがわれわれの眼や耳から知覚神経によって中枢に運ばれるあいだに変化したり消滅するものである。その間に最初の情緒はもはや直接感じとるこのできない状態になってしまうだろう。そうなれば、われわれはただ中枢で認識された表情の残像を頼りに、自分の情緒と対照してこれを判断する。それはつまり(情緒は情緒を、感情は感情をもって感じとらねばないという)第一の段階をぬきにして、いきなり知的判断に飛躍してしまうのである・・・(中略)・・・動物たちをよく観察すれば、かれらにとっては、情緒や感情は生死の問題に直結する生存上の手段であることがすぐにわかる。そして、それはこれまでの人間的基盤では絶対に習得できなかったところの、新しく開拓されるべき研究分野である」
あった、あった。ここだ。これらの詩文のように美しい学術的記述の中に、秘法が隠し沈められている。要するに、間先生は、人間主義だとか今の学問、つまり現代人の知覚では、野生動物の感情・情緒は理解できないと断じているのである。また、視覚による判断(ペットなどの表情を読み取る感覚)では、感情のタイムラグを解消できない。焦点は、ここにある。
そうかぁ~。五官(五感)ではなく、霊感・霊波を使えばいいんだ。あれって、タイムラグが無いから。ぼくは合点した。「霊波」というのは、(たぶん)自発脳波でも誘発脳波でもない、まだ科学では解明されていない「脳内微弱電気信号」の一種のこと。現代医学で脳波は、表層的かつ一般的なものしか研究されていない未開拓分野である。
ちょっと乱暴な言い方になるが、この霊波とか霊感を自分の日常で使い、役立てられるようになる第一条件が、「人間社会からの落ちこぼれ」かつ「呆れるほどの根気がある人」であることのような気がしている。この「霊感・霊波」を使い、立派な仕事をなした人たちに、植物学者の牧野富太郎先生・森林学者の高橋信清先生・精霊妖怪学者の水木しげる先生などがいる。いずれも名だたる落ちこぼれであり、かつ反復力のカタマリのような方々であられた。
間先生も類まれな才能を持ちながら、言語障害があったため、人との交わりを避け、孤独と言語なき世界を求め、自然や動物たちと共に過ごす青春時代を送っていた。そして、そこから得た感覚を研ぎ澄まし、積み重ねて、「動物と人間には、言葉によらないコミニュケーションがある」ことを悟り、展開させていった。
あれ?何を書こうとしているのだっけ、このバカうどん。しばし、あっちの世界に行っていた。そうだ、そうだ、鳥さんたちとの意思疎通の仕方だ。霊波の具体的な使い方ね。これは、意思を言葉になる以前の混沌とした状態に戻し、それを頭のなかでフラッシュ映像なんかにして鳥さんに投げかけるんです。上手くいった時には、瞬時にフラッシュ映像が返ってくる。タイムラグが存在しないんだな。投げかけると同時に返ってくる。まぁ、こう書いたけど誰も信じないだろうし、信じてくれたにせよ、誰にでも出来るってことじゃないから。最低でも、スズメちゃんやカラスさんのスグそばに行っても逃げてかないという人じゃないと出来ないだろう。でも、これができるようになるとオモシロイよ。思いもよらぬ情報が入ってくるから。わはははは。
さて、「鳥よせら」だ。これは、「鳥さんに寄せられる」という意味で、ぼくはこの経験が数回ある。そのうちのひとつを書いてみる。
人里近くではあるが、人が殆んど行かない林の中に、そのカラスさんたちはコロニーをかまえていた。ぼくは、この一族のボスガラスさんと顔見知りだった。その付近を散歩していた時、ボスガラスさんが足元に降りてきた。お妃様と一緒だった。たまたま食料を持っていたので、ぼくたちは「食事会」を始めた。さいわい辺りには、誰もいない。
カラスさんのクチバシの下部は、リスのほっぺたみたいなもので、そこに食料を溜めこめる。ボスガラスさんは、しきりに食料をためこんでいたが、お妃様はじっとしていた。そして、「クワァァァ」という甘えたみたいな大きな声を出すと、天に向けてクチバシをカパッと開けた。するとボスガラスさんは、開いたクチバシの中に自分のクチバシを突っ込み、ため込んだ食料を口に入れていた。
それからボスガラスさんは、ぼくの方をチラっと見、飛んでいった。数十秒後、彼は一族を連れて戻ってきた。40羽ぐらいいた。一族は、ぼくの頭上をぐるぐると歓迎の旋回した。「うわぁ~、この行動をカラスさんもやるのか!」 感激した。ぼくはまるで、魔法使いか忍者にでもなったような気分になった。そして、カラスさん40羽に囲まれた食事会をしてきた。カラスは「神の使い」という伝説を持った国は、世界にいくつもある。そのカラスさんに「寄せられた」んだ。特有の雰囲気があり、まるで異界に足を踏み入れたような味わいがあった。以来、その一族のカラスさんたちは、ぼくに気兼ねなく接してくれるようになった。
ついでに書くと、有名なシートンの動物記「シルバー・スポット(カラスの隊長・銀の星)」には、カラスの鳴き声を五線譜で表し、その意味が書かれているが、あれは全く当てにならない。あんな単純なものではないし、もっと気ままで自由なものだ。だいいち、人間主体の立場から書かれているしね。天動説みたいなもんだと思うよ。よしんば、シートンが観察したカラス一族の場合には当てはまったとしても、カラスはファミリー(集団)ごとに、その合図が異なるだろうから。まぁ、読みものとしては面白いんだろうけど。

2017年2月17日金曜日

できた!

じゃじゃじゃ、じゃぁ~ん

使用曲 ナシ族新歌曲 "Mengzhong de Lijiang"
言語 Mandarin
モデル あやか(香川)
換詩創作 スズキロクスケ(web name つめたいうどん)
四国の高嶺・瓶ヶ森(かめがもり)
いのち遍(あまね)く 要山(かなめやま)

私の生きる この時代にも 高くそびえ
幾重もの命を育んでいる

私の生きる この時代にも 滾々(こんこん)と
吉野の源流を生み出している
阿波の長堤 池田ダム
さぬき千年の恋心
春秋(しゅんじゅう)重ねた ひそかな想い
籠(こ)もれる記憶も溶かしゆく 眩いばかりの美しさ

夢のような香川
美しい故郷
夢のような香川
美しい故郷
都会で暮らし 夢に生きてた あの時も
打ちひしがれて 夢を捨てた あの夜も
故郷の美しい姿が現れて
何度も戻りたいと 思ってた
悠久の時を経た 貯水林や蓮や菱(ひし)
吉野の水は どれだけ思いを乗せて 流れて来るのだろう

三県(みけん)を跨(また)ぐ水路(みずみち)を うねり重なり
深い深い思いを抱いて 阿讃の山をくぐって来る
国境の山を穿(うが)ち
吉野の水を引くという
いにしえからの おとぎ話
その千年の夢が 叶った奇跡

孫池 子池 親の池
そこで暮らす 魚(うお)や鳥
すべてが 故郷の風景をつくってる
夢のような香川
美しい故郷
夢のような香川
美しい故郷

都会で暮らし 夢に生きてた あの時も
打ちひしがれて 夢を捨てた あの夜も
故郷の美しい姿が現れて 私をささえてくれた
夢のような香川
美しい故郷
清らかな人の心

香川用水は今日も その清らかさをたたえている

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亜矢香ちゃん、お誕生日おめでとう
この詩はね~、香川用水の事を書いてるふりをしているんだけど
じつは、あなたのことを書いたんだ
わぁ~、モノスゴくはずかしいじゃ
はずかしけりゃ、やらなきゃいいんだが
それ以上に、想いを伝えたかった
このラストメッセージを見た時に
どうしても、想いをレスポンスしたいって思ったから

想いは長い時間をかけて、言葉の塊になり、詩になっていく
ぼくは要領が悪いから、5年かかってしまったけど
やっと書けたよ
でさ、例の件
亜矢香ちゃんの、コスプレーヤーとして業績を讃えて造ります
「新・八戸水道」構想なんだけど
本日発表の予定だったが、前倒しして元旦のブログに書いてしまった ははは
簡易水浄化システムを使って、主要ポンプ場に塩素未混入水の取水塔を設置するという
香川版のチュートリアル

八戸には人脈があるから、実現不可能じゃない
12年後の完成を目処にしているんだ
そして12年後、この実績・データーを持って香川に行く
本番「新・香川水道」だ
オゾン浄化システムを使って、全県規模での取水塔設置
ポンプ場から直に、大口径蛇口を引く
経年劣化した水道管を通さないから、おいしい水が大量に出てくる

農業用水である香川用水は、高松水道局などに買われ、飲用水にもなっている
これに「名水」という神格を与えたいんだ
香川において、「水を大切に使う」とは、
「水が豊富な時は、じゃんじゃん使い、少ない時には節水」だと思う
常に節水して、あまった香川用水を海に捨てる事じゃない
「水道局」っていうのは、ビジネスだから
ムダに料金収入を減らしてしまうのは考えもんだ
「名水」は香川のみんなに
「ここの水は、水道料が高くても払う価値が十分にある」と再認識してもらえる力がある
「水が豊富な時は、ふんだんに利用する」という利用法を
人々に教えてくれる可能性もある
もちろん、昭和48年・平成6年の渇水を踏まえながらさ

香川に人脈を作ることから始めていくから、完成するのに30年はかかるだろう
おお、亜矢香ちゃんが おばあちゃんになっているのだ
ぼくは100歳になっている わはははは
ガンの余命を50年以上にして、皆を呆れさせるのだ
小さな時から時から、何をやってもダメな子だった
みんながカンタンに出来ることができない
人の3倍やっても身につかない
そんなぼくは、幼稚園の時に、人の10倍やれば人並みになれると気がづいた
以来、ずっとそれで やってきた
だから、長い期間 淡々とやりつずけるのには慣れている
能力が劣っている分は、時間と反復でカバーする
とりあえず、アレだな
金さん銀さんを越えてだな
「100歳」って書いた色紙を額に入れてデパートの展示会でバンバン売って儲けて
亜矢香ちゃんにプレゼントを買ってあげたいです^^v
大学の卒論は、八百比丘尼や常陸坊海尊の事を書いた
今は、800年生きるのに、べつに人魚の肉など食わなくてもいい事を知っている
物事を100年単位のスパンで観れるようになったんだ
だから、香川での30年間の使い方がわからない訳じゃない

健康長寿の要は、身体能力を進化させる事だと気がついた
今年は、バック転と側方宙返りをキレイな形で出来るようにしておきます
亜矢香ちゃんも健康で長生きするんだよ
柔軟体操など良いかもしれないぞ
では、またね


2017年1月31日火曜日

香川旅行記・その3 讃岐財田駅のタブの木

香川県三豊(みとよ)市の
財田町(さいたちょう)にある讃岐財田(さいだ)駅は
うどんさんが一番来てみたかった場所
駅前にひろがる、日本の田舎によくある風景
だが、この三豊(みとよ)の地は、瀬戸内地方最古の貝塚があり
その規模も、香川県で最大なんだ
現在の財田駅(ざいだえき)は、鉄道てっちゃんが好むような木造無人駅だ
駅舎に入ると、うまいぐあいに誰もいない
うどんさんは、念力で
亜矢香さまの精霊をベンチに座らす
精霊いわく
「ご主人さま、三豊のおやつは、おちらし飴でございますわ」
炒って挽いた麦粉と砂糖で作る「おちらし飴」は香川全域にあるが
地域によって使う麦の種類が異なる
ここ三豊では、はだか麦(たぶん)
この精霊と国道32号線(四国新道)に出たとき
「ご主人さま、田舎もち、田舎もち」と言われた
まさか、この看板が四国新道の目印になろうとは思いもよらなかった
あん餅が入った香川の雑煮は奇抜がられているけれど
全国の郷土料理に、あん餅の汁物は、まま存在する
青森にも「けいらん」という、あん餅の吸い物があるしね
てっぱい・しょうゆ豆・まんばのけんちゃん(高菜のけんちん汁)などは自分で作る
レシピ通りにやってたら、美味しいものは作れない
そんなご主人さまの悪い性格を知って、精霊は絶妙のチョイスをしてくれる
白下糖(しろしたとう)・カワジャン・おちらし飴に磯吉ジャム
うん、どれも心地よく香川を感じるわ
ところで、財田駅のタブの木さんに聞いた話だが
大久保諶之丞の頭にあったのは、イギリスのブリタニア橋でOK
香川用水のための山掘削が南部藩の穴堰をモデルにしたと考えるのは
時期尚早という事だった
(妄想ですよ、妄想。わはははは)
讃岐鉄道開通式(明治22年)での大久保諶之丞の祝辞 口語訳
(即興でやったので、興味ある人は、細部を自分で確かめてね)

この讃岐鉄道開業式の末席に参列し、一言の祝辞が無かろうはずがない。
ああ、日本の鉄道創設は実に明治元年、内地の要・京浜から始まった。
思うに当時は、建設技術・工事・列車運転のどれをとっても、外国人の手を借りていた。
それが今や我が国の技術は大いに進み、日本人だけで事足りる。
そして、私設鉄道条例の勅令もいただいた。

京浜鉄道創設以来、奥州鉄道(東北本線)・東海鉄道・関西鉄道・山陽鉄道が続々開通す。
日本の東西が鉄道で貫通される時も遠くない。
明治元年の状況に比べたら、この差は どうだ。

我らが南海四国も、往来が多い多度津、丸亀、琴平間で、去る明治20年秋に鉄道免状下付があり、この明治22年に開通した。
これは全く讃岐鉄道会社組織の処理が適切だったからである。

ああ、讃岐鉄道はわずか40kmあまりではあるけれど、北の瀬戸内海を超えれは山陽鉄道に達し、
とくにその航路には神戸・下関、あるいは塩飽諸島の灯台があり、
あるいは乃生(のうみ)・玉野渋川の発電所があり、それに加え多度津・粟島等の良港がある。
そしてまた、ここは宮崎・鹿児島等へも足を伸ばせる航海路であり、まさに我が国内海の要と言える。
ゆえに、日本4島の要関と断言しても過言ではない。

今後、讃岐鉄道を、一端は高松まで延長させ、一端は阿讃山脈にトンネルを掘り、吉野川の沿岸あたりに線路を取って徳島・高知の両市に伸ばす。
一端は、これより西の伊予の山川を貫通させ土佐の西部を巡り高知鉄道に連結させよう。
このように四国全土を一巡するようになれば、さらなる繁栄は間違いない。

まさに、その時に当て、四国と本州をつなぐ大鉄橋を造るんだ。
瀬戸内海にある塩飽(しあく)諸島を土台にして、本州の山陽鉄道まで橋を架け、讃岐鉄道と連結させれば、いかなる時も、舟のように風や雨の心配などしなくていい。
午後には浦戸で釣りを楽しみ敦賀で夕涼みができるほど、
四方をスグに往来できる。その利便性も県民の受ける福益も、この大鉄橋ほど優れたものはない。

おお、讃岐鉄道よ、その役割は大きく重い。
ここに、いささかの過去と未来を述べ、本日の祝辞に代える。

 明治22年5月23日 地方発起人 大久保諶之丞 
原文・於讃岐鉄道開通式 大久保諶之丞之祝辞

茲に本日を卜し讃岐鉄道開業の式を挙ぐ、予や其末班に列し何んぞ一言の祝辞無かる可けんや。
抑我国鉄道の創設は実に明治の初年、内地最とも枢要なる京浜・神阪の両所に於てす。
蓋し当時其規模なり、工事なり、機関運転なり、一として皆な外人の手を経ざるは莫し。
今や我国技術大に進み、嚮に外人の手を経るものも既に我が国人の手に成るに至る。
是に於て乎、政府私設鉄道条例の発布あり。

以来東北に西海に、畿内に山陽に続々結社、以て此挙あり。
而して東西両極貫通するの期も遠からず。実に之れを以て明治の初年に比せば其差果して如何ぞや。
我が南海四州も往来最とも頻繁なる多度津、丸亀、琴平間に於て去る明治20年秋是の工を起し、
今や竣を告ぐ、是れ全く讃岐鉄道会社組織の宜きを得るの致す所なり。

嗚呼讃岐鉄道の位置たるや布設の距離僅々十余哩に過ずと雖ども、北一葦水を超ゆれば山陽鉄道に達し、殊に其間の航路は神戸・馬関の中心にして、或は塩飽与島の灯台あり、
或は乃生・渋川の電線あり、加之ならず多度津・粟島等の良港あり。
而して亦是より宮崎・鹿児島等へ針路すべきの航海路にして、実に我国内海の咽喉なり。
而して四州要関と謂も過称に非ざるなり。

今より此の線をして一は以て高松に延長せしめ、一は以阿讃国境の山を穿ち概ね吉野川の沿岸に線路を取り徳島・高知の両市に分る。
一は以て之れより以西、伊予の山川を貫き土佐の西部を巡り
以て高知に合す。夫れ四州一巡するに至らしめば、貨多を加へ運送便を得るや必せり。

是の時に当て塩飽諸島を橋台となし山陽鉄道に架橋連結せしめなば、常に風雨の憂ひなく、
午後に浦戸の釣を垂れ、夕に敦賀の納涼を得る。
実に南来北行東奔西走瞬時を費さず、其国利民福是より大なるは莫し。

於○讃岐鉄道や其関係大且つ重と謂つ可し。聊か巳往と将来を述べ以て本日の祝辞に代ふ。

明治22年5月23日 地方発起人 大久保諶之丞 

2017年1月20日金曜日

香川旅行記・その2 西讃の旅は、ランダムに

香川は藩廃藩置県の時 高松藩と丸亀藩・他の小さな藩が一緒くたになって出来た県だから、西と東で大きく違う。風土が まるで違うし、文化や方言も違う。しかし、この地にあった藩は、どこも官軍に反抗的であったため、県名と県庁所在地を別名称にされた。明治政府が施した「後世への見せしめ」である。だから香川は「高松県」とならなかった。
でも、まぁ、時代が下ってみれば、そんな事に拘(こだわ)る人もいなくなる。明治は遠くになりにけり。悪くも、良くもね。ただ、昔から変わらないのが、ここは瀬戸内が満たす土地と 女性的なる山々と、それらを抱(いだ)いている平野、そして平野を守る溜池群からなっているという事だ。
撮影 かねしげさん みさちゃん
衣装製作・画像処理 松永亜矢香
コスプレイ あやか(香川)
Special thanks to 香川の猫ちゃん・アオバズクさん

音楽 ナシ族新歌謡「ダングー・ヤオ」
歌手 ダポ・マージ
言語 マンダリン
制作 つめたいうどん(青森)
本州から船で香川に渡ったなら、最初に目に入るのは五剣山だが、瀬戸大橋線で海峡を越えたら、出迎えてくれるのは、ため池群に逆さ富士を映す、飯野山の美麗な姿である。
(丸亀市・坂出市に跨がる飯野山)
「神サマが降りてくる山だね」
ぼくは飯野山を初めて見た時、こう感じた。
香川には、このような「こんもりした山」が多い。海洋プレートが四国南部を押し上げてくるから、北部は海に溺れてく。この造山運動が陸地にも作用し、香川の美しい山々を造っているんだ。
飯野山を観ながら 「はやくここで暮らしたい」と、ムショーに思った。
そして中古住宅物件を探して歩いた。香川で暮らせるようになるのは、まだ10年以上先の話なのに。ああ、のっけから乱れている。気が昂っている。
(奥の家屋と軽自動車が香川っぽい)
丸亀市塩屋町 5DK一戸建て。340万円。築年月、50年12月。あ、これ、いいかも。。。いや、まいねまいね(ダメだ) 丸亀競艇場のスグそばだ。わいはぁ~、恐ろしじゃ恐ろしじゃ。うどんさんはギャンブル命の人だから、ハマれば手がつけられない。でも、亜矢香さまに「うどんちゃん、ギャンブルやめてね」って言われたなら即刻やめる。あ~、酒もタバコもやめる。でもでも、言ってもらえないので、好き勝手している。嗚呼・・・
(あ、全艇フライングだ。レース中止)

「丸亀競艇 生活費に手をかけ 修羅シュシュシュ
廻れば四国は ウインズ ボートピア ケイリン
高知の土佐競馬
いちど嵌(はま)れば・・・オケラだよ」

旅の途中、素寒貧(すかんぴん)になってしまったら、坂出「がもう」の130円うどんさえ食えなくなっちまう。オレは何しに香川に来た?
(うどん屋「がもう」の入り口左側に掲げてある価格表。ジャンクうどん以外では香川県最安値かも)
気を取り直そう。まずは、仲多度郡の琴平公園へ。だが象頭山を観れば、舟券売り場に流れる曲が頭に流れる。
「まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば」
帰りの汽車賃だけは残しておかねば。篤実に篤実に。ギャンブルやってオケラさなってる場合じゃない。オレは新・香川水道を造りに、ここに来たんだ。さあ、諶之丞さまの気骨に触れてこよう。
ところが最近 大久保諶之丞の銅像を見ると讃岐缶詰の「磯吉ジャム」が頭に浮かぶんだな。140グラム、小さな瓶で864円。この品質で、この価格なら大満足。苺に小原紅みかん(香川だけが栽培してる)、それに金時人参と無花果(いちじく)の4種類。この人 渡辺磯吉さんでしょ?真ん中の、和服を着た人は。讃岐缶詰の創立者。巨大銅像を私費で建てた、大久保諶之丞の研究者。ああ、「磯吉ジャム」をパンさ付けで食いてぇじゃ。ヤマザキの「うんこパン」(と、危険添加物使用食品の本に書いてあった)じゃなくて、自分で焼いたパンさつけで。(オレは気骨に触れたのか?)
何のかんのと やってるうちに、もう日も暮れぬ。予讃線で西へ西へ。さて、今夜の泊まりは、豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)のある観音寺(かんおんじ)市。小じんまりとした藤川旅館は、うどんさんの西讃の定宿。一泊二食で ごっせんえ~ん(5.000円)♪ 宮史郎の歌に出てくるような 家庭的な宿だ

「当館の宿泊料金は安く,お仕事の拠点・四国八十八カ所巡りやご家族の旅行等,何にでもご利用いただけます。」 
と、HPに書いてあったのが、気に入った。「安く」は赤字の太字書き(原文のママ)。
洗濯機・乾燥機有ります。洗濯無料、乾燥機15分100円。旅する身には ありがたい。
(観音寺市にある創業明治40年の老舗・山地蒲鉾(やまぢかまぼこ)が作る「カワジャン」。
パリパリに焼いた鶏皮とささがきにしたゴボウをすり身に練りこんでいる、そうですぅ。1個380円)
夜。安焼酎を飲みながら、旅の短歌を何首か詠む。つまみにしようと思っていた「山地(やまぢ)のカワジャン」は、ギャンブルによる経済破綻のため、忍びがたきを忍ぶ。

という訳で、かあちゃん、今夜もカラ酒だ。カラ酒だけでも、歌なら詠める。最初に詠んだ歌は、こう。
カワジャン食えず 豆腐も買えず 財田川 カラ酒ばかりの香川の泊
七宝見えず 稲積も見えず 財田川 星ばかりなる香川の泊(とまり)
言わずと知れた尾崎喜八「神流川紀行」のパクリです(-_☆)V
ああ、しかし。東讃を旅していた時とは、勝手が違う。東讃は質朴なれど、かっちりしているので、何をするにも狙いが付けやすかった。西讃は自由度が高い分、意思をはっきり持っていないと、散漫になる。ギャンブル場も、競輪・競馬・競艇と揃っているしね。
散漫になったついでに書く。松永亜矢香さまは、西讃の人(丸亀以西という意味)だろう。「田舎育ちで自然大好き(ナコルル・コミケ本より)」というのは、西讃岐地方の事を言っているのだと思う。
 (キャベツ畑に飯野山)
(そして、その付近の溜池群)

想って通えば 千里は1里
逢わず戻れば  何とまた千里

船は出ていく 煙を残す
茶屋の娘が 何と出て招く

来たか時次郎 裏へと 回れ
裏は切戸の 何と開けがらす
(香川県民謡「千本地搗き唄」 歌詞聞き取り うどんちゃん)
今は香川県民謡といえば、お座敷遊び歌の「こんぴら船々」ぐらいしか知られていないが、この「千本地搗(じつき)唄」は、香川県に欠かせない民謡だった。ため池造りの作業唄である。地ならしをする時に歌う唄なのだが、歌詞の冒頭から、ご当地妻を想う相聞歌(ラブ・ソング)になっている。溜池造りを生業(なりわい)としていた土方たちは、大阪・兵庫あたりから、鳴門海峡を越えて出向いて来てたんだろう。唄の歌詞から辿っていくと、そんな事も想像できる。これでフルコーラス・6番までの歌詞なんだよね。この唄は「やれどっこいサノサの やれ どっこしょ」と合いの手を入れる箇所が多いから。
(手作業による香川の溜池造り)

昔は、力仕事の現場は「音頭」を唄いながらやっていた。専門の音頭取りがいて、唄を仕切る。人夫は合いの手を唱和し、リズムを合わせてエンヤコラ。5の歌詞が、いいねぇ。まるで、遠方からこの地に通う、ぼくの憧憬を唄っているようだ***ヾ(≧∇≦)ノ"***きゃあぁあっ♪
んだども、歌と現実はちがうすけよ。あやか様がぼくを待ってる訳がない。ああ・・・讃州風雪ひとり旅。憎い仕打ちと恨んでみても 戻っちゃこない あの人は~♪ どのにいるのか この町の ひと目だけでも逢いたかったよ~♪ わたしが捧げたその人に 亜矢香だけよと縋(すが)って泣いた・・・おねがい私を捨てないで~♪ そのうち「香川の女」っていう演歌でも作るすけ。(おめぇ、民俗音楽研究家だろ?)

つきましてはバカうどん、亜矢香さまの面影を抱(いだ)きつつ、色気はなくとも実力はありそうな讃岐人を捜しては、人脈を作る精進業を昨日も今日も続けるのでありました。
要人に会うにもスーツになんかに着替えない。うどんさんは子路と同じで、ボロを着てても 全く平気。このへんは高橋延清先生仕込み。香川県庁に出向いたら、応接室ではなく用務員室で待てと顎で言われ、そこで下っ端の公務員に卑下されるなんて、いいねぇ。理想なんだわ。大久保諶之丞は私財の全てを四国新道に投げ打ったため、食事にも事欠き、粗末な服しか着れなかった。新道建設の陳情に赴いた彼が、高知県庁で 受けた扱いが こうだった。偉人がつけた道の後(あと)を辿るに難儀は無い。そしたらぼくは、その公務員に、新・香川水道の重要性を順々と説いてくればいい。
(財田の山、財田城の事・三豊市財田町。中世の土塁城だべ、これは。
八戸にも中世の築山城跡がある。現在の三八城公園)

笑わしゃんすな 百年先は
財田(さいた)の山から川舟出して 月の世界へ往来(ゆきき)する

財田幸五郎の『四国にバカがいた』には、諶之丞が内務省の役人から「田舎者のホラ吹きめ」と罵られた時、にっこり笑い、得意の手三味線で こう唄ったと紹介されている。有名ではあるが、この端唄の解説で、感心するものは見た事がない。だから、ちょっと私見を述べる。
アホ国家公務員が「田舎者」というのは、「香川県人」の事だ。それを諶之丞は、さらに小さく、「香川県三野郡財田村の村人が」と、歌で切り返す。「財田城から川船を出す」とは、讃岐鉄道の事を言っているのだろう。「月の世界へ往来」の部分は、「讃岐鉄道を本州の山陽鉄道と連結させる」と読める。つまり、これは、100年先には四国と本州を鉄道で連結させる大架橋が完成しているよ、という歌なのである。

それに比べたら、四国新道なんて今の時代(明治時代)でも出来るでしょ。あんたもケツの穴、もっと大きくしんしゃい。ベンベンベン~♪

さすが、100年にひとりの怪物だね。近代香川の礎を築いた偉父だね。ああ、カラ酒飲んで、すっかり酔がまわってきた。
このへんで切り上げます。以上、大久保諶之丞と亜矢香さまが完全なる同一線上に並んでいる完全変態(卵→幼虫→さなぎ→成虫と変態する)のうどんさんでした。香川良いとこ、一度はおいで。オリーブ、手袋、和三盆etc。それでは皆さま、おやすみなさい。