葉子は、よくある「彼女が彼に料理を作る」というパターンではなく、いつも「まぁーちゃん(うどんさんの事)一緒に作ろう」って誘ってきた。僕の作った料理を食べると、葉子はニコニコ笑って、「まぁーちゃんはホントに料理が上手だね」って言って、ぎゅ~っと抱きしめてくれた。葉子はホントに何でも教えてくれた。何にも出来なかった中学生が、1回教えるだけで何でも出来るようになっていくから、彼女も面白かったのだろう。
「お嫁さんにしてほしい」と言われたのは、僕が高1の時だった。彼女はすでに社会人になっていた。僕は「うん」って言ったけど、それは無理だと感じていた。僕はコンプレックスの塊だったから、こんなステキな人とは結婚できないと決め付けた。
それで、まあ、色々あって、結局僕は葉子と別れてしまった。僕は親に育ててもらったものは皆無である。その後、僕は全て自費で夜間大学を出たが、親は2.500万の借金の連帯保証人欄に僕を仕立て上げた。僕は国際人になる夢を捨て、その借金返済と、身の回りのことが何一つできないニートの親の身辺世話に明け暮れねばならなくなった。色々あった。腹の立つ事ばかりだった。でも、葉子と一緒にいた3年で、彼女は僕のすべてを育ててくれていたんだ。だから僕は、過酷な状況の中でも人間になれた。それに気づいたのは、あれから何十年も経ってからだった。
亜矢香の話になる。亜矢香の写真を初めてパソコン上で見たとき、僕は絶句した。3枚に1枚が、葉子の写真に見えたからだ。(DVDで見れば似てないけれど、「ゼロ魔」や「魔法人形あやか」などは葉子の写真集に見える)さらに驚いたのは、写真から伝わってくる亜矢香の内面性の豊かさと、カメラマンの自分の感性を消してしまう度量だった。僕は全身全霊をかけて世界中のパソコン上にある亜矢香の写真を探し続けた。そして1万枚以上の写真画像を集めた。
以上、100%リアルの話です。告白するけれど、これからやりたい事の真相はこうだ。僕は岡山県に「瀬戸葉子記念緑地」を造る気でいる。そして瀬戸内の海を挟み、香川に「松永あやか記念緑地」を造る。僕の人生は、不幸と悲惨を絵に描いたようなものだった。それが、葉子と亜矢香のおかげで、世界でいちばん幸福な人間になれた。記念緑地事業は、そのふたりに対する、ほんのお礼なのです。
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