2016年2月6日土曜日

香川に行ってからの活動大綱・命を懸けてやります

さて、香川行きの件ですが、青森でやることも色々残っているので2年後をめどに(長くても3年後)移住したいと思ってます。香川に行ってからの活動大綱を書くと

1・農家に住み込みで3~5年働く ネットで香川県人向けの亜矢香記事をバラマキつづける 敷地が広い中古住宅を購入する(のちに商売用の厨房を作るため) 畑も購入しておく
2・その後、丸亀市か三豊市あたりで「あやかごはん」を開業する

ここまでなら、誰にでも出来る。問題は、その先。
3・お金を稼ぐには、多角経営がよい 「あやかごはん」は、その母体 手堅く新事業を増やしていく また、時間を作って本の執筆活動もしていく
4・20年で1億円稼ぐペースで仕事をする その間、山相の良い森と、彫塑・彫刻の名人に目星を付けておく
5・ある程度お金が貯まったら、「この地しかない!」という山林を買って、森に林分施業法を施していく
6・時期を見て、亜矢香の等身大の銅像、もしくは石像の制作依頼をする(森には石像の方が合うかも。これから、さらに深刻化するであろう酸性雨対策も視野に入れる。環境庁が5年がかりで行った調査・昭和64年時点で、酸性雨の被害は日本全土を覆っており、日本海側と都市部では欧米の数値を上回っているのです。)
7・森自体を、極盛相の手前に近づけられるメドがついたら、「松永あやか記念緑地」と銘打ち、銅像もしくは石像を新たに作った広場に設置する。さあ、除幕式ですね。この時、松永あやか様ご本人と かねしげ様に参列していただけるよう、今から祈りつづける・拝みつづける・口説きつづける!!!(←どうやって(´Д`) そのうち何とかしよう)
話を飛躍させます。網走に渡来したオホーツク人の遺跡の存在を予感し、ババーショップ(網走に開業した床屋の名前)を経営しながら、考古学概念を塗り替える渡来人巨大縄文遺跡を発見・発掘、そして「モヨロ貝塚館」(現 網走市立郷土博物館)を自費で完成させた床屋さんがいた。それらの土器には縄文がついておらず、肌がすべすべしてなめらかで、みがかれているものが多かった。
のちにオホーツク式土器と呼ばれ、世界的に有名になった遺跡だが、これを発見・発掘・整備した人の人生は、映画や小説の創作劇よりも見事であった。彼こそが、ハイヌリシュ・シュリマン(ハインリヒ・シュリーマン)と並び称される、学校は中学1年までしか行けなかった「一介の理髪職人」・米村喜男衛翁(よねむらきおえ・南津軽郡藤崎町出身)。無学歴だが、頭が良かった。翁は「きわめて学問的な方法で発掘し、研究し、しかも正確な表現でもって学術雑誌に発表」した。この人の人生を、これからの鑑(かがみ)とする。(て、書いたけどよ、本音は津軽衆さ負げでられねぇだすけな!この手の人物は南部からは一人も出ていない(・へ・))
米村翁の何を鑑とするのか。それは、強い強い強い強い一念があれば、凡人のまま終わるようにプログラミングされてしまった人生さえも変革して、大願を成就させるという事。米村翁は、考古学の夢を捨てざるを得ない中学中退の床屋になるしかなかった。だが、丁稚奉公が終わるや否や、考古学教授たちが散髪しに来るような神田の高級床屋に就職し、客であった鳥居竜蔵教授の知遇を得る。そして、大学の人類学教室への出入りを許可してもらう。翁の学問的情熱を察した鳥居教授の計らいで、東大考古学会にも入会する。翁は熱心に教授の著作を読み、アイヌ文化に興味を持つ。そして北海道を散策する。このくらいのレベルの人間になると、遺跡のありそうな場所はカンで分かるだろう。思わく通り、網走に大きな貝塚を見つけると勤めていた店を辞め、その地に自分の理髪店を開いた。そこで床屋をやりながら遺跡発掘の日々を送る。この行動力だ。うどんさんも、津軽衆に相克する南部衆として、翁の人生と肩を並べていくつもりです。
話を戻します。
8・【重要項目】誓いを果たし、諸願満足で成仏する。あるいは③~⑦を達成できずに、負け犬うどんは野垂れ死ぬ。そうなった時には葬式も納骨もしないようにと遺言しておく。遺骨は瀬戸内の海に捨ててもらう。もう決めたのです。後戻りはしない。そしてこの決意に悲壮感はありません。むしろ、喜びが溢れている。ていっぱい楽しんで、やっていきます。こんな事を言うのは何だけど、うどんさんには自信があるのですよ。
淵沢円右衛門(ふちざわえんえもん)の著書・岩手県指定有形文化財
自信の根拠をバラします。淵沢円右衛門(江戸時代後期、八戸藩内で玉川鉄山経営、造り酒屋経営、豪農、農業研究家・指導者、稗三合一揆のプロデューサー&スポンサー、困窮民への無利子金貸しなどをしていた岩手県九戸郡軽米の南部衆。士農工商の身分を全て持っていた人)は、うどんさんのご先祖さま(母系血統)。八戸藩で一番の高額納税者でした。僕は、生まれた時以来、40年にも及ぶ えた非人同様の酷い虐待生活を親から強いらてきた中で(人間が食べるものなど、ほとんど食べたことがない&酷使の連続&風呂は月に1度だけ&服や下着や靴はボロばっかり・着替えは年に4回だけ)、来世のため・道を開くために、あらんかぎりの精進・努力をするという決定(けつじょう)した勤勉生活を送り続けてきた。そしてついに、円右衛門の遺伝子が自分に色濃く受け継がれているという感覚を、がっちり掴んだのです(去年の12月12日のことでした)。まあ、簡単に言えばさ、ご先祖さまの末裔としての意地と能力が、うどんさんにはあるのだすけよ。(言ってしまった。。。)

以上。みなさま、これから連続して来たりくる勝負の日々を、勝ち続けていくからね('◇')ゞ


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