2016年3月12日土曜日

己心の香川と現実の香川・水にまつわる話

今、香川用水と出水(ですい・香川方言で、自然湧水の事)を讃える詩を書いているんですが、これには たっぷりと思い入れを入れて書いている。いわゆる己心(心の中にある)の香川です。うどんさんが詩に書く「香川」は、いつも「己心の香川」なんだ。
だから現実の香川とは違うのです。たとえば、今の世の中、香川の水の不味さを言う人が多いでしょう。ありがたいはずの水道水に手を合わせる人は、少ない。ネットに、こんな記事がありました。
「最近高松に引っ越してきました。前住んでいたとことは、静岡県の東のほうだった。すごく水がきれいで豊富、水道代も安かった。こちらにきて、まず不動産屋に浄水器レンタルを薦められた。浄水器?何でそんなものが必要なの?その理由は、香川で暮らし始めて分かった。水道水がおいしくない。そして、水道の出が悪い。川に水がなく、どぶのようなところには一切水がなく干上がっていました。水道料金もだいぶ高めです。今までの10倍くらいする。」
静岡は全国的に見ても、トップクラスで水がきれいで、かつ豊富な、水道代の安い土地。静岡の小川町の10立方メートルの水道代は363円。香川県高松市は同じ量で2.592円になります。水道代っていうのは、土地が違えば、これくらい違う。地域によって水資源の貧富・水道事業の難易・設備維持費の大小があるから、これは当然なんだけど、平均値的思考が身に付いている現在の日本人には納得しがたい事のひとつでしょうね。(ちなみに北海道羅臼町では3.360円にもなる)
この「高い・不味い・出が悪い」香川の水道水も、「己心の香川」では、「いのちを支える甘露の水」となるんですよ。香川の水の履歴、それをちょっと書いてみます。(写真集の続きは下の方にあり)
((諶之丞の銅像を建てたのは三豊(みとよ)市にある「讃岐缶詰」の創立者・渡辺礒吉(いそきち)さんだ。香川県が税金で造ったんじゃなくて、諶之丞の研究者が個人で、自分で働いたお金で造ったんです。すばらしいじゃないですか。))
香川県の近代インフラ(都市基盤施設)の全ては、大久保諶之丞(じんのじょう)という明治時代の一県会議員でしかなかった人が構想したんです。彼が構想した「香川用水」は高知県の巨大「早明浦(さめうら)ダム」に貯えられた水を、徳島県の「池田ダム」を通じて、香川県に導水するというものに発展した。
香川用水は、なんと3県にまたがった、年間2億5000万トンの水を送る大用水路なのです。(120年も前に、こんなスゴイ構想がよくできたものだ。「香川用水」を初めて知ったとき、うどんさんは水源の無いシンガポールに生活用水のすべてを供給するためマレーシアから引かれた、あの巨大パイプラインを連想しましたよ)
(シンガポールとマレーを結ぶ3本の巨大水道パイプライン・Tambak Johor)
諶之丞は、四国四県を結ぶ幹線道路・「四国新道」の計画を熟思している時に、慢性的な水不足に苦しんでいる香川に、徳島県を流れる吉野川から水を引けば、農業用水・生活用水ともに確保できると確信したのです。
((十和田市の祖塚(たいそづか)祭られている新渡戸伝の銅像))
この発想は、青森県の「人も野生動物も、鳥も虫たちもいない、そして草木の一本も生息していない三本木原(水が無かったから)」に、遠く離れた奥入瀬川から用水路を引き、一大穀倉地帯と都市(現・十和田市)を作った新渡戸伝(にとべつとう)も彷彿させる。江戸時代の事だった。この稲生川(いなおいがわ)用水路を通すために、2つの山にトンネルを掘る必要があった。トンネルの総延長は6.000メートルにも及ぶ。それは、すべてノミと金づちで掘る。だが伝は、この難工事を、わずか5年で完成させる。半農半商の都市計画は、次男の十次郎に任せた。三本木原の新田に初めて稲が実った年、十次郎の子どもが生まれる。その子は稲穂と三本木原の町が造られた事にあやかって「稲造」と名付けられた。そう、あの、新渡戸稲造です。また、現代の青森県南部平野は、稲生川用水の効果もあって、あの広大な津軽平野に匹敵する広さを持つに至っているのです。
(十和田市を流れる稲生川)
話を戻します。うどんさんが香川に行ったら、真っ先に礼拝しに行きたいのが 1・瀬戸大橋 2・四国新道(高松から高知に至る現在の国道32号線と、高知~松山間の33号線) 3・多度(たど)郡・琴平(ことひら)公園の大久保諶之丞像 3・三豊市にある香川用水記念公園 4・200か所以上ある香川の出水(うどんさんが数えてみたら206か所あった) なんだ。讃岐うどんなんて、四の次・五の次でいい。出水には、ひとつひとつに番号を付け、毎年巡礼したいと思っている。そして、この「出水巡礼」を香川の教育・文化事業にできたらいいなと願っている。古来より、人と沢山の生物の命を支えてきた「出水」は、現在 手入れされることも無くなり、水は濁り、ゴミだまりになり、水が枯れたりしている。
(善通寺市にある出水。荒れています)
古来より水を確保することは、命を守ることでもあった。水が無ければ料理も洗濯もできない。お風呂にも入れない。農作物が作れない。第一に、生きていくことが出来ない。水を讃えることは、水を美味しくすることにつながる。水を讃えることは、生活にツヤを持たせる。そして水を讃えることは、いのちを磨くことに連なるのではなかろうか。うどんさんは、以前から痛切にそう思っている。
(まんのう町の出水。土を入れ替えなきゃないですね)
うどんさんは現在青森県民だが、心の中では既に香川県民にもなっている。気が早いんだ。だから、冒頭に紹介した静岡から香川に引っ越してきた方には、こう申し上げたい。
「生活用水も農業用水も満足に確保できない香川県が、高知と徳島の方々のご理解とご厚意により、遠く離れた他県のダムから水道水を送ってもらっています。水圧は強くできません。経費もかかるので、水道代は割高にならざるを得ません。そんな中、香川県水道局の人たちは、少しでも美味しい水を県民の方に飲んでもらいたいと日々努力を続けています。水の豊かな静岡県とは同じようにいきませんが、なにとぞご理解くださいませ。」だが、これで話をチョンにしたくない。先がある。
これは静岡県の柿田川にある湧水のひとつ。美しいですね。でも、かつては日本の湧き水は、どこでも清らかだった。だから、うどんさんは香川の出水を、カラスさんに協力してもらって水神(みずがみ)さま(古代人が神格を与えた、水を浄化する自然現象)を呼び起こし、この状態に戻していきたいんだ。(←意味不明だべ。この「秘法18番」を、うどんさんは知っているのだ。ふっふっふ^^) 一ヶ所成功すれば、あとは何とかなる。高松市には、名水「楠井(くすい)の泉」が湧いているくらいだから可能性は、ある。現在、香川県水資源対策課が行う中学生対象の「香川用水・水源巡り」は20年以上続けられている事だし、あとは個々の感受性に問うところは大きいが、「出水巡礼」を県民運動にできる下地だってあるだろう。
水道を使うたびに「高い・不味い・出が悪い」と感じるのであれば、裕福層であろうとも、満ち足りた生活は送れない。これは、損だ。「ああ、ありがたいな。嬉しいな。なんて便利なんだろう。この水道があるから、今日もまた一日、生き延びられる」と心から感じられれば、貧しくても艶やかな生活を送ることが出来る。
幸福生活とは、そんな日々の積み重ね。だから、今の日本で「幸福な人生」を生きる事なんて、じつは そんなに難しいことではないのです。
これが亜矢香のラスト作品集「魔法人形あやか」の最終ページ。あやか様、かねしげ様、「つづく」の続きは、わたくし「つめたいうどん」が引き受けました。その具体的実践は、香川の地にて行います。



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