2016年3月19日土曜日

讃岐の龍神・香川用水を辿(たど)る①

高知の早明浦(さめうら)ダムから、徳島の池田ダム分水場へ流れた水は、分水工を通り8キロメートルある地下トンネルをくぐって香川に入り、県中を潤して、東かがわ市の宮奥池に抜ける。天下に誇る香川用水のルート。それを辿ってみたいと思います。そうそう、最初に申しておきますが、途中で脇道に逸(そ)れるのは必至。だって、丸亀市には競艇場があり、高松市には競輪場があるんですもの。じつは、うどんさん、ギャンブルが3度のメシより好きなのです。
大学時代から急に勉強好きになった。いちばん熱心にやったのが競馬の勉強。なんと、うどんさんの4年間の学費全ては、競馬でとったお金で払っていたのです。コレ本当(なんてふざけたヤツだ)。國學院大學はJRA渋谷場外馬券売り場のスグそばで、立地条件がいい。生活費等も含めて、親からは1円も貰わなかった。だから今でも、競走馬を見ると「大学を出してくれた大恩人(馬)」として手を合わせます。のっけから話がソレました。行きます。
西日本一の規模を誇る早明浦ダムの底には、かつて大川村主要部だった土地が沈んでいる。ダム建設をめぐり、流域の本川村・大川村・本山町の3町村の置かれた立場は、それぞれ異なった。
水に沈む大川村だけが、何のメリットもなかった。ダム建設が決定してから、村の人たちは反抗心を示すため、水没予定地に3階建ての村役場を新築したそうだ。村長は、建設省の役人に村役場の敷居をまたがせなかったという。このダムに水没した大川村の世帯は387世帯。建設後、ダムが渇水するたびに、旧・役場が怨念のような顔を出す。それを見る者は、なんとも複雑な気持ちになるのです。偉業の影には、どうしても犠牲やら、ドロドロしたものがが付きまとう。これを忘れる事なかれ。では、このことを頭に入れておいて、現地まで行ってみましょう。
国道439号線は吉野川(四国を横断する大河川)を跨(また)ぎながら走る。あまり知られていないが、この吉野川より南側は、海洋プレートが隆起してできた土地。北側は、大陸プレートの土地。だから四国は、南と北で雰囲気が大きく異なるんだ。この国道は、大陸プレートと、かつての海洋プレートの上を交互に走れる稀有な道路です。山の稜線が美しいですね。
おお、デカいダムですね~。「四国の水瓶」とも「四国のいのち」とも言われているダムで、四国四県で使われる水が、この一ヶ所にあるとも言える。総貯水量3億1,600万立法メートル。これは東京都の水瓶・狭山湖ダムの15、3倍の貯水量です!じつは、うどんさん小学校低学年の時からダム・フリークス。ルーツは黒部ダムだった。黒部ダム建設時の殉教者は170余名にのぼる。ダムは、まさに命がけで造る。合掌。
香川県全域分の水(早明浦ダム使用水量の3割)と吉野川北岸農業用水が、このダムから、徳島にある「四国のかなめ」池田ダムへと送られている。くびすを返して徳島へ。このダムで、2県分の水が分水される。香川用水の起点です。ここには階段式魚道があり、ダムに流れ込んだ流木を粉砕して堆肥化させ、農家に無料配布するなど、取り組みもユニーク。このダム湖を跨いでいる、女性的な景観の、美しい大架構梁がある。世界初の両側同時張出しによるトラス(単位三角形構成)工法によってアーチ部を架設のしたもので、名前も「池田へそっ湖大橋」と、ユニークだ。この橋の基本設計をしたのは、望月秀次・安藤博文の日本道路公団四国支社建設部に籍を置く両氏。うどんさんは大の橋フリークスでもある。ルーツは隅田川橋梁群。では、香川に入りますよ。
池田ダムから送られた水は、導水トンネルを通って「香川用水記念公園」(三豊市)の東西分水工で分かれ、西部幹線に送られた水は観音寺市を受け持つ。香川用水の農業用水配水の仕組み例は、こうだ。田植え用水は、まず地元の溜め池の水を利用する。孫池の水が少なくなると、子池から水を補給。子池の水は親池が補給する。そして田植え後、親池に香川用水が水の減少した分を補水する。節水が徹底されてますね。
東部幹線は同じく三豊市の「香川用水調整池(宝山湖)」付近の神田分水で、高瀬支線を伸ばす。ここの支線は、三豊市を受け持つ。こんな感じで、幹線水路は次々に水を送っていく。 ああ・・・ちょっと疲れた。ここまで調べるのに結構時間がかかった。
脇道に逸(そ)れます。気晴らしに、得意分野の話を書く。仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮(ことひらぐう)、通称「こんぴらさん」。「玉藻集(たまもしゅう・讃岐の名所・古跡を詠じた江戸時代の和歌集)」に3.000年前からあると書かれる(3.000というのは実数ではなく、単に「大きな数字」の意味だと思う)この社(やしろ)は古くから参詣者が多く、本州からも参詣専用船に乗って、多くの人が訪れていた。その船を「金毘羅船(こんぴらぶね)」と言った。
金毘羅船々
追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ
まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば
(以下、この歌詞の繰り返し。その後accelerando←早くなって、終わる。)
この唄のレコードには、5番まで歌詞のあるものがあるが、後世の付け加えで、元唄にはこの歌詞しかなかった。うどんさんは戦前の日本民謡研究もしていたのだが、この歌の歌詞だけは日本全国どこに行っても同じだそうだ。お座敷遊び唄であるが、老若男女いずれにも有名で、小さい子どもまで知っている。おそらくは参詣帰りに、丸亀あたりで芸者遊びした旦那衆が覚えて、自分の土地に持ち帰り広めたのだろう。(←いちおうの得意分野)
んで、何を書きたかったのかと言えば、この「こんぴら船々」が丸亀競艇場の舟券発売締め切り合図の音楽として使われている事だ!(←真の得意分野) 締め切り3分前からアッチェレランドが始まり、テンポが速くなっていく。おいおい、そんなに せかすなよ。2分前、女性の事務的な声で「この音楽が鳴り終わりますと、投票窓口を締め切ります」という無情なアナウンスが流れる。おい、まだ舟券買ってねぇってば!焦れば焦るほど、ツキが遠くに行っちまう。サイフは、どんどん軽くなっていく。そして最終レースに有り金全部つぎ込まねばならぬという、いつものパターンになる 。結果はいつも同じである。今日もオケラになってしまった。もう、帰りの電車賃も無い。また空腹に耐えながら、6時間歩いて帰るのか・・・不貞腐れて、道路に大の字になって寝る。これがサイコーに気分いい。富にも権力にも拠らない、ほんとうの自分になれる。これが簡単に出来るのは、ギャンブル場だけだ。帰り道、澄んだ星空に闘志が燃える。今日の仇は、次の開催日で討つ!ああ、まったく懲りることが無い。
♪~金恋し 腕節痩せねど サイフは空にて 今宵も更けゆく♪~ (「金恋し」石田一松・「君恋し」のメロディーで)
丸亀 舟券
生活費に手をかけ 修羅シュシュシュ
まわれば 四国は
高松競輪 高知競馬に 丸亀競艇場
いちど回れば スッテンテン

地方公営ギャンブルって1年365日、ほぼ毎日やってるんですよ。おお、オソロシイ。←香川用水どこ行った。(次回につづく)

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