2016年4月2日土曜日

被子植物と虫類と鳥類の連なる生命 そして高知競馬場←は?

小学校の時に、被子植物は虫が好む形と匂いを発する花をつけ、虫を介して受粉する仕組みを知って驚いた。なぜなら花は、あらかじめ虫の存在と、虫たちの好み・行動を知っていた事になるからだ。
これが不思議でたまらなかった。だが教師連中は一人として、この問題に疑問を感じていなかった。不思議に思わないのか?ダメだ、こいつらの低俗な頭じゃ。そう思った うどんさんは市立図書館に行って、いろんな本を調べてみた。だが、そんな事を書いている本は一冊もなかった。当時の図書館は、児童室と一般室が分かれていて、小学生が一般室に入ると、「こっちは子供の来る所じゃない」と言われて追い出されたので、職員を説得するのが一苦労だった。
大人になってから、さらに被子植物は鳥類が好む味の果実を付け、その果肉の中に種子を忍ばせ、わざと鳥に種入りの実を食わせて、遠方に種子を運ばせるという事を知って、2度びっくりした。種子の胚は、鳥類の強烈な消化器官でも消化されないように、固い種皮に包んである。糞と共に排出された種は、発芽に必要な糞の豊富な栄養分にくるまれる。
ああ、なんという事だ。被子植物は、鳥の嗜好・行動・内臓器官の仕組みまで知っている!だが、大人になって検索能力があがっていたにも拘わらず、これらの疑問を解き明かす内容が書かれた本を探すことはできなかった。これらは自分で思索するしかない。
それから長年たって、ある日とつぜん心づいた。「そうか、分かった!被子植物と花粉を媒介する昆虫と種を運ぶ鳥たちは、体は分離独立しているが、本来ひとつの生命体でもあるんだ。個別的生命と総括的生命、ああ、なんて自由自在な生命だろう!」 もちろん、こんな突拍子もない、何の説得力もない説を信じる人なんて一人もいないだろう。だが、この説は 自分を納得させるのに十分だった。うどんさんは嬉しくなった。後年、海外で被子植物と虫は情報交換をしているという学説が出たが、そんな学説は どうでもよかった。
5年前、東北大学の田村宏治教授らが、鳥類の祖先は爬虫類ではなく恐竜である事を決定づける証拠をつかんだ。これまでは、恐竜の前肢が「親指・人差し指・中指」であるのに対し、鳥類の前肢(翼にある指の名残)は「人差し指・中指・薬指」なので、「鳥類の祖先は恐竜ではなく、爬虫類」とする説が有力だった。それが今回の発見で、これまでの説は誤りであり、鳥類の前肢も恐竜のそれも同じ仕組みであることが分かった。これで150年間も続いてきた鳥類の祖先論争はピリオドをうった。被子植物類と虫類、鳥類、これらは2億4千万年以上も続いている総括的生命体なのかも知れないね。そう思って鳥さんたちと遊んでいると、よけいに楽しくなる。
話を少し変える。カラスさん・ユリカモメさん・ウミネコさんは、うどんさんの とりわけ好きな鳥だ。これからの鳥たちは、進化に対し無限の可能性を秘めている。その適応性の凄さはどうだ。自然破壊されたフィールドでも平気で暮らしている。
(ユリカモメさん・冬羽)
とくにカラスさんの、野生でありながら人間文明の都合のいい部分を利用して生活する、いわゆる
シナントロピズムには学ぶところが多い。カラスさんから教えを受けた うどんさんは、人類ではない何者かになって、人間の作ったインフラ・貧乏住宅・web・魚屋・農家の産直・図書館・郷土資料館、そしてギャンブル場と酒を利用するSynanthrope(シナントロープ)になった(*^^)v 2億4千万年前から続く生命列環(造語です)に参加して、都市鳥のように生きる。これが なんとまぁ、快適でシアワセな人生を楽しむ方法であったのだ、自分にとってね。
(香川の白カラスさん・おやじ氏撮影)
でさぁ、香川で暮らせば、高知競馬場に時々行けるんだよね。2.000年以降、ギャンブル場廃止論が高まる中で、累積赤字88億円の、まっさきに潰れてもおかしくなかった高知競馬場。ところが、「弱者の大逆転」がおきる。Foinavon(フォイネーヴォン)が英国グランド・ナショナル大障害レースを大逆転勝利したようなものだ。売り上げが年間40億円を切っていた赤字製造機の超弱小競馬場が、今や120億円近くを売り上げ、多くの黒字を出している。
(3分24秒・日本語では「フォイネイボン」と言うらしい。騎手はジョン・バッキンガム。世紀の大落馬事故が起こった10秒後、はるか後方を走っていたFoinavonだけが障害を飛越していく
高知競馬のトップたちは経営危機を脱する際、非常にフレシキブルな発想をした。都市鳥さんたちのようにね。地方の競馬場でありながら、中央競馬の都合のいい部分を利用した。競馬場のシナントロピズムである。中央競馬の最終レースで馬券を外した連中が、ネットで高知競馬のナイター・レースの馬券を買えるようにした。目玉は、高知最終レースに組まれる払い戻し率77%の「一発逆転ファイナルレース」の3連単馬券。このレースには、勝鞍に見放されている馬たち(競馬新聞記者たちが選抜する)が出場する。中央競馬と、まったく逆の発想をした。
うどんさんは変態なので、「有り金ぜんぶスッて、不貞腐れて大の字になってギャンブル場の道路に寝ること」を理想としている。馬に自分の人生を投影しない。だが常識ある一般ピープルたちは、「最後は勝ちたい」と願っている。馬に自分を重ね合わせる。高知競馬のトップは、まんまと その人情につけ込むことに成功したんだ。
高知競馬の もうひとつの特色として、故障や成績不振でホームグラウンドを走れなくなった馬たちを引き取って走らせる場所というアイデンティティがある。走れなくなった多くの牡馬(おとこ馬)は、たいがい屠殺場に運ばれて、ニュー・コンビーフ・加工馬肉になる。これが経済社会だ。だが、馬主にしてみたら、もう少し余命を与えたい。それが、せめてもの慰みになる。競走馬の維持には お金がかかるけど、あと数年は南国の小さな競馬場で、のんびり余生の競争生活を送ってくれや、となる。ここ、高知競馬場の調教師たちは、業界で「再生屋」とも呼ばれているんだ。
かつで中央競馬などで活躍した大好きだった馬が高知競馬場に都落ちしたしたら、はるばる尋ねに行ってポケット・マネーで単勝馬券を買い、砂場場をドン尻でゴールする かつての自分だけの名馬に、惜しみない拍手を送る、なんていうのはステキだと思う。宗教的視野で観れば、「再生屋」を長くやっている篤行があったからこそ、絶体絶命の窮地から高知競馬は「再生」できたのだと捉えられはしまいか。だから、他の地方競馬場が高知競馬場の真似をしても、こんなには上手くいかないだろうと、うどんさんは思っている。

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