2014年3月23日日曜日

Haikus of cherry (Ohtsuka Kohzan 1880~1911) 大塚甲山 桜の俳句


うどんさんの新たな仕事・現在建設中の新サイトについて少々述べておきます

青森県は天才詩人の宝庫。その中でも最高の詩を書いていたのが大塚甲山(おおつかこうざん)という明治時代の詩人です。この天才詩人は31歳の若さで劇的な人生を閉じました。それなのに全国的には全く無名であります。この原因は出版業界の事情と、彼の作品を解説したり口語訳する人が一人もいなかった事に因ると、うどんさんは考えています。


甲山の事を書いた本は無くもないのですが、どの本も彼の生涯と社会主義運動のことばかり書いています。それはそれで、いいのだけれど、一言で言うとそれだけでは「この本、誰が読むの?」って感じになってしまうのです。(一生懸命書いてくれた著者の皆さま、すいません)


うどんさんが、やろうとしている仕事は大塚甲山の作品を、中学生が読んでも、左官屋のにいちゃんが読んでも、掃除のおばさんが読んでも分かるように翻訳・解説していこうというものです。英文も駆使して、大塚甲山を世界に宣揚しようという試みです。とにかく、より多くの人の目にに甲山の作品を触れさせるです。これは松永亜矢香のフォトムービーを作っていたうちに身に付いたノウハウを、応用したものなんですよ。


さっと散り また さっと散る 風の花
「桜の花が風に舞いながら さっと散り また さっと散る 桜の花は風の花だ」
Cherry blossom petals were whirling and gone It is a flower gone with the wind

暁(あかつき)の 雨に人なし 花の山
「雨の降っている朝 草刈りの人もいない 桜の咲く山には」
No mower at the mountain where cherry blossoms are blooming in the rainy morning

茶を呼べば 鳩(はと)なく店の 桜かな
「茶屋(ちゃや)で注文したら 鳩が鳴いた ここは桜の咲くお店
When asking for some tea, a pigeon cooed for replying me This is a tea stall where cherry 


風呂に汲む 水に花うく 山家(やまが)かな
山家だなぁ 風呂に水を張る桶(おけ)の中に桜の花びらが浮いている」
Cherry petals floating on a bucket of filling a tab

鱒(ます)釣(つり)の 岸に終日 落花かな
「鱒を釣っている湖の岸辺に 桜の花びらが一日中散り そして浮かんでいる」
Cherry petals falling and floating on the lake shore where anglers fish trouts

山桜 水音(みずおと)遠く 聞こえけり
「遠くに山桜が咲いている 小川の音も遠くから聞こえてくるよ」
Wild cherry blossoms are blooming, some babbling of a brook can be heard in the distance



渡し場や 人なき舟に ちる桜
「渡し舟の発着場にある舟には誰も乗っていない その舟の上に桜の花びらが散っている」
No one board on a boat at the wharf   We can see some cherry petals scattering over a boat

花ちるや 物思い居(い)る 膝(ひざ)の上
「桜が はらはらと散っている 小さな子が物思いして母の膝の上に座っている」
Cherry petals fluttered down to the ground  A little child in thought is sitting on his mother's knee

汽笛(きてき)鳴って 桜散るなり 小停車場(こていしゃば)
「汽笛が鳴って停車場の桜の花が散っていく 上北の駅」
The whistle blows at Kamikita station, there still falls cherry petals.



きれいな俳句でしょう?みなさん、こんな美しい俳句を見たことがありますか?
出典は「方廂(かたびさし)」とうい甲山の俳句集です。この本(というか雑誌というか)は甲山の出身地上北町に隣接している七戸町の人がその昔、ガリ版刷りで印刷出版したものです

それから、どうしても触れなければならないのが、大塚甲山の作品と寺山修司作品の関連です。これを書いた文章は少しむずかしくなってしまったのですが、少しだけ紹介しておきます。


文学少年・少女なら、これらの句を読んで寺山修司の詩文を連想した人もいるのではないかと思います。青森県は天才詩人の宝庫。その中にあって修ちゃん(寺山修司)は、自分が最上位の詩人であると自負していました。彼の『百年たったら帰っておいで』という本のタイトルは「自分は百年に一人の天才だ」という自意識の表れです。

If you were a literary youth, you might have imagined poems of Shuji Terayama(寺山修司) after reading these Haikus.
Aomori prefecture is one of the treasure houses of genius poets.Among them, Shuji Terayama was outrageously confident of his talent as a poet. The title of his book "Come back after 100 years" (『百年たったら帰っておいで』)indicates that he was so self-confident that he was a sole genius in 100 years.  



世の中には修ちゃんの事を書く人が多いのですが、ほとんどが彼の本質の一面しか捉(とら)えていないような気がします。寺山の本質をいちばん正確に、鋭くとらえていたのは作家の山口 瞳さんで、「寺山の特質と異端(いたん)は、短歌というリアリズムの世界の中にドラマを取り入れたことにある」と追悼文(ついとうぶん)に書いていた事がありました。

There exists many critics making reviews about Shuji Terayama, but most of them are misleading because of misunderstanding.The best critic who grasped his essence was Hitomi Yamaguchi, (山口瞳) delivering a eulogy for Terayama, saying that his characteristics and unorthodoxy were derived from the introduction of drama into Tanka(short poems),works with realism.


(中略)さて、では寺山のドラマツルギー(ドラマの構成・お話をドラマにしていく方法論など)は、どこからきたのか?また、気づいている人は少ないのですが、彼のあの、例えようもない詩の美しさは何処(どこ)から来ているのかを考えてみたいと思います。(中略)寺山の生前、青森県の詩人を5人あげれば誰々になる?っていう話のときに、彼は大塚甲山を入れていました。

Well, then where does Terayama's Dramaturugy (drama's composition, drama's making method) come from? Where does the beauty of his poems come from?I would like to make some objective interpretation first and then add my own interpretation here.
During Terayama's lifetime, he cited Kozan Otsuka(大塚甲山) if he was asked the best five poets of Aomori prefecture.

この文章の後に書いてある中核部分は紙面の都合で省略します・・・すいません。


・・・では、寺山はどのように自分の過去を脚色していたか。ひとつだけバラシておきますね。
...One additional tip about Terayama;how Terayama dramatized his past.

修ちゃんは『誰か故郷を思わざる』の中で、自分は母親の束縛(そくばく)から逃(のが)れ東京に行くため、風呂桶をたなって(抱えて)「風呂(銭湯)さ行ってくる」と言い残し、そのまま駅に行き東京行の汽車に飛び乗った書いてあります。これはまったくの作り話なんです(ほとんどの読者がこの話を真に受けているのも、彼が夢語りの天才だったという根拠になると思います)

Terayama wrote in his work "Tare ka Koyko wo Omowazaru(Who can neglect their own hometown)?" that Terayama wanted to tied down by his mother, so he jumped on the train after telling her he was going to a nearby public bath. It is a total fiction, however, most of the people believe in this story.

寺山の初めて上京(東京に行く事)は、面白くも何ともない話ですが「早稲田大学受験」のためというのが事実であります。(とっぴょうしもない脚色でしょう?)まぁ、作家というものは話を面白くするために、こんなフィクションもたくさん書くものなのですよ。みなさん、参考として覚えておいてくださいね。

Actually, the reason Terayama went to Tokyo was, as of common sense,to take  an entrance exam of Waseda University. Then, why was the fiction so wide spread?  Remember, poets/writers write fictions to make stories more exciting, more interesting.


・・・以上、こんな感じなんですが、うどんさんが今後どんな論文を書くことになろうとも、その根底には、いつも松永亜矢香への思いがある事を分かってくだされば幸いです。
それでは皆さま、また来週お会いしましょう。
(来週は上北町出張のため、更新が数日遅れます。)



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