公園を作るには、許可奪取のために何かとクリアーしなければならない問題が多いし、「公園法」という法律に縛られる。また、地図で見る限りでは、香川の公園は飽和状態になっている。だから「山地を買って保安林にして亜矢香緑地を造る」という別発想をしてみました。これなら自由度が高いし、地元の人たちの共感を得られれば、ボランティアで管理のお手伝いをしてもらえる可能性がある。公園よりも作る許可を取るのが遥かに簡単でコストも低いから、より現実的と言えるでしょう。(ただし良い森に作り変えるのに、たいへんな時間とお金がかかる。また、森林法という法律もあります)
日本の山林って、二束三文で売買されているんですよね。林業は赤字経営にしかならないから、手を出す人が少ないのです。ただ、1964年の東京オリンピック以降は、自然破壊が急激に進み、良い森はわずかだけになってしまった。全国どこでも、成長が早く手間がかからない安直な杉林ばかりになっている。
そこで今週は、ちょっと専門的学術的な話になってしまうのですが、うどんさんが かねがね勉強してきた「森林の理想的な育て方」について書いていこうと思います。
いきなり結論から書きますね。どろ亀先生(高橋延博士・森林研究の世界的権威)は「天然林は、各林分(りんぶん)が極盛相(きょくせいそう)の直前に速く達するよう誘導し、かつ、このステージで回転させる」のが理想であると結論付けました。「途中相の森林は、このステージに向かって施業」(ともに『樹海』より)してあげると、すくすく育っていくという事を、先生は笹こぎ生活50年の中で発見されたんです。森づくりには、この方法が一番いいと僕は思っている。現在林学の基礎となっているドイツ方式は、人間が主で、森林が従。どろ亀方式は、その真逆。森林が主で、人間が従。
この方が、どろ亀先生。南部弁丸出しの東大名誉教授でした(故人)。(うどんさんも南部人なのです)でも没後は僕の心の中に入ってきて悠久の魂となり変わり、いまもピンピンと生き続けておられる大師匠です。日本のチベットと言われる岩手県和賀郡沢内村出身。沢内村の学校では、学業成績が3番以下になる事は1度もなかった。その学校は1年生から6年までが同じ教室にに入り、唯一の教員である70歳の無資格教師が授業するというスバラシイ学校で、全校生徒数は3人だけだった・・・うむ。先生は極めて純度の高い詩人で、話術の天才でもあられました。
「極盛相」とは森林の最終的な段階で、枯れていく木と成長していく木の比率が同じになる状態。ちょっと分かりずらい説明しかできないんですけど、この状態だと老齢木が多くなるので、森の活力も発展もなくなる。人間に例えるならば、年寄りたちが組織を牛耳って、若い人の伸びようとしている芽を、次々に摘みとっている状態に似てるかしら。
森が一番活力を持つ時期は「極盛相の直前」。(森は100年単位で鑑みるので、このスパンは長いですよ)そのときの森の姿を簡単な言葉で言うと、「明るい森」「美しい森」です。この状態を保ち続けていけるよう、人間が森に寄り添っていくのがいい。
「森林の創造美は、自然が主で、人間が従になってつくっていく」もの(「カムイミンタラ」)。森林の木の種類や大きさの大小、下草の状態、そういったものを一つの「林分」という単位でとらえる。この林分が、どういう方向に動いていこうとしているのかを正確に感じ、その方向に人間が従となり手をかすという立場で天然林を育てていきなさいと、僕は どろ亀先生から教わったのです。(これを林分施業法と言います)
林分施業法の具体的な実践作業は、笹を刈ったり、まわりの木の生長を押さえつけている暴れ木を伐採したり、植樹が必要な場所には少しだけ木を植えてやる事です。文章で書くと簡単そうに聞こえるが、
森の精霊と対話しながらやらないと、森自体にそっぽを向かれてしまう。根気強い手入れを続け、林分施業法が完成に近くなると、未来は森が自然に良い方向で自らを成長させるようになる。(ここまでやるのに長い長い年月がかかるのです)
林は人工林のような一層林より、大中小の木がある「多層林」の方が総合能力が高いので、それを目指す。生物層も非常に多くなり、生態系が複雑になるぶん、丈夫な林になる。多層林は、林と言うよりは森と言ったほうがいい。森は無数の草木・昆虫・動物・鳥・菌類たちを育む一つの巨大な生命体です。その中で様々な食物連鎖が行われながら、森はすこしずつ面積を広げていく。
そして林分施業法が完成した森は、高次元でバランスのとれた「精霊の棲む森」となる。ここで言う「精霊」とは、自然に内在する生命本来のリズムの事です。(←うどんさんだけが知っている、精霊の正体。これを突き止めるのには長い年月がかかりました。)
山林を買ったら、こういう森づくりをしたい。正直で、真面目で、技術のある林業技術者たちの協力が不可欠になりますね。友好の輪を、ぐんぐん広げていかないと。
そして見晴らしのいい場所に広場を作って、そこに亜矢香の銅像を設置するんです。銅像の名前は「松永あやか像」よりも、「コスプレする女の子像」の方がいいのではないかしら。買い取った山地に
「精霊の棲む演習森・松永あやか記念緑地」を造るという案は、自分の代だけでは出来ない長期計画になりりますが、公園作り以上に魅力を感じる構想なのです。
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