2016年10月30日日曜日

仮面ライダーへの憧れが、運動万年ダメ少年を変身させた

うどんさんが運動好きになったのは中学2年の時からです。それまで、体育の通信簿成績は「1と2だけ」だった。運動会で走れば、つねに大差負けのビリ。幼稚園・小学校を通して、そうだった。運動は全てダメ。虐待児童で常に栄養不良だった事もあるけど、運動する時の体の使い方が全くわかりませんでした。うどんさんが走る時は、いつも皆にゲラゲラ笑われてた。女の子よりも、ずっと遅かった。よっぽどヒドい走り方をしていたのでしょうね。男女合同の体育の授業。6年になっても跳び箱を飛べないのは、クラスで うどんんさん一人だけだった。
それでも中学にあがった時、体操部に入ってしまった。「仮面ライダーみたいになりたい」っていう単純な動機から。「バック転や前宙ができるようになりたい~!」 ところが、いざ入部してみたら、待っていたのは 毎日腕立て500回・腹筋500回・ランニング10キロのトレーニングの名を借りたシゴキ。腕立ては、首・肩・腰を一直線にして、体が床まで付くくらいのとこまで沈めなければケリを入れられて やり直しです。その後は部室で正座させられて、毎日毎日殴られていました。技なんか教えてもらえない。あ~、戸塚ヨットスクールの世界ですね。
顧問の教師なんて、部活に顔を出したことがありません。試合の時でさえ、一度も来たことがない。練習中に事故があった時も、顧問は一切責任を取らない。生徒だけが軍人幹部あがりの校長と教頭に こっぴどく責められ、責任を取らされました。責任転嫁もはなはだしいです。全部生徒のせいにしてキレイ事ばかりならべる。教師が全員こんなカンジだったから、うどんさんの中学校では、部活が「イジメの場」になっている所が多かったのです。まさに地獄の1年間だった。
話を戻します。1年生は7人いたのですが、運動オンチの うどんさんだけが新人戦に出してもらえなかった。バック転も前宙もド下手。でも、どうしても仮面ライダーみたいにないたい。うどんさんは部活以外の時間に、黙々と練習をし続けたのです。教えてくれる人なんて誰もいません。単純な練習を何回も繰り返すだけ。1000回・2000回・3000回・・・とね。
イジメをする3年性が卒業して、うどんさんは2年生になった。学校給食のおかげで、栄養もついてきた。1学期、生まれて初めて 体育の成績が「3」になった。「他の成績はオール1でかまわないから、体育だけは5になりたい」と思って、バカみたいに練習し続けた。(学校の勉強が嫌いなので、テスト勉強などした事が無かった( ̄▽ ̄)V ) そして2学期、ついに体育の成績で「5」の評価をゲット。体の使い方が、分かるようになったんです。
以来、高校に入ってからも体育は ず~っと「5」。運動会でも、走ればいつも ぶっちぎりの1位。体操部では、上級生から部長に任命されてしまいました。イジメを追放したし、試合の時も上位に食い込めるまでになった。運動まるでダメ少年が、仮面ライダーみたいに「ヘ・ン・シ・ン」を遂げたのです。運動能力テストの50メートル走は学年で6位。ヘタな陸上部より いいタイムでした。懸垂が21回以上できるのは学年で うどんさんだけ。おお、すっかり自慢話になってますね。わはははは。
そうなれたのは、シゴキ・イジメ大好きな先輩の おかげだったかも知れない。顧問や校長・教頭がズルくて卑怯だったのが幸いしたのかも知れない。人生は「塞翁が馬」だから。でもね、いちばん大切なのは「できるようになるまで やる」って事なんだ。人の10倍かかってもいい。出来るまでやれば、出来るようになる。それを教えてくれた仮面ライダーこと藤岡弘さまには、今でも感謝しています。

2016年10月23日日曜日

ガンと医者に言われてから1年1ヶ月

去年もブログに書いたんですが、去年うどんさんは医者から「すい臓がん」の疑い濃厚と言われて
ました。超音波診察で、「ほら、すい臓の管が こんなに開いてる」なんて映像見せられてね。うどんさんはヘンタイなのでショックはありませんでした。5年間(がん患者の平均余命)好きなことやって死ねばいいと思ったのです。でも、葉子が許してくれませんでした。
そして、「たとえ末期ガンでも必ず治してみせるから」と約束してしまう羽目になってしまった次第です。やるべき事は、次の3つ。
1・切開手術が上手くいくよう内臓脂肪を減らす
2・手術に耐えられる体力をつける
3・全身に酸素が行きわたる運動・成長ホルモンを出す運動をして、正常細胞でガン細胞を押さえつけておく
この時 頭に浮かんできたのがブルース・リーとミホノブルボン(有名な競走馬)だったんです。ブルース・リーはドラゴン・フラッグスの創始者で、1970年年代 すでに「痩身に最も効果的な運動はウォーキング」だと言っていました。ミホノブルボンは日本歴代最強競走馬の1頭で、坂路調教の代名詞。
要するに免疫力を高めガンに対応するには、高負荷筋トレとブルース・リー・ウォーキングと坂路調教を中心にした運動を続ければいいと直感したのですね。それでスタミナを付けながら脂肪を減らしていく。厚生労働省や日本肥満学会の言ってることは信用できませんが、ブルース・リーとミホノブルボンなら信頼できます。
自分の場合は、まずガン手術にむけたシェイプアップから始めました。ダイエットはしません。シェイプアップとビルドアップを交互にやるつもりでした。体組織計は どれがいいのか分からないので、テキトーにオムロンの最新式を買いました。手と足で測るやつ。去年9月20日の数値は
身長166cm 体重71kg 体脂肪率27% 内臓脂肪13% 胴回り92cm ウエストも92cm 筋肉率28.5% 上の血圧145

ちなみに1年1ヶ月たった現在の数値は
体重58kg 体脂肪率16% 内臓脂肪7% 胴回り79cm ウエスト74cm 筋肉率33% 血圧125
タニタの体組織計では体脂肪率13%と出てきます。筋肉率を計算すると43.5%
スポーツジムに置いてある50万円クラス・100万円クラスのヤツでも同じような数値が出てくる。タニタの体組織計は体脂肪率は うんと低く、筋肉量は とんでもなく多く、体年齢は びっくりするほど若く出てきます。まあ、インピーダンス方式自体が当てになりませんからね。オムロンとタニタでは出て来る数値が違いすぎます。
シェイプアップ期にしていた運動は
朝、公園でストレッチ→片足立ちで深呼吸10回(左右6セットずつ)→ブランコ腹筋ローラーもどき40回x2セット→ディップス40回x2セット→片足スクワット(パラレル)左右40回x2セット→ドラゴンフラッグス3回→超スロー斜懸垂30回x2セット あと、言葉で説明しづらいのが幾つか→ストレッチ
その後 山の麓まで自転車で行って、急坂で競歩フォームのトレッキング(山登りと山下り)45分(時速3kmぐらい)→クールダウン→ストレッチ→ポタリングして帰宅。
夕方 ストレッチ→筋トレ→未舗装路平坦地でブルース・リー・ウォーキング1時間(時速6~7km)→ストレッチ でした。これを毎日やる時間を作るために睡眠時間は5時間に減らしました。「短時間睡眠は太る・体に悪い」なんて言ってたら何にも出来ません。運動量自体が大したことないので、休息日は無し。

雨の日は自宅でストレッチと体幹トレーニングをだらだらと。降雪期はスポーツ・ジムで5時間。運動が好きなので、疲れは次の日に残りません。っていうか、やってたら楽しくなり、完全に「遊び感覚」でやってました。
食事時間はテキトーです。規則正しい生活が出来ないと言うか、しない(*´ω`*) 食事内容は6大栄養素をバランス良く。食事量は大人一人量の7割。料理好きなので、ラクです。料理研究家・管理栄養士・レシピとか大嫌い\(^o^)/ 1日1食~3食。お菓子類・間食は一切なし。ジュース・炭酸類・スポーツ・ドリンク・ペットボトル飲料・牛乳一切なし。サプリメントとかトクホ一切なし。ダイエット食品・置き換え食品一切なし。インスタント・レトルト・チルド・冷凍食品・惣菜類・缶詰類一切なし。外食嫌い。

食事の品々を食べる順番は、食べたい順です。口中撹拌(かくはん)をしながら食べて、幸福ホルモンを出します。糖質制限なし。ただし、お酒制限はあります。1日日本酒1合・またはビール500mlまで。ヌーベル月桂冠かハートランドまたはギネス・ドラフトの日が多い。タバコ好きで1日1箱程度。食費は1ヶ月20.000円くらい。自炊ばかりなので、お金がかかりません。
ダイエットしてる人との一番の違いは、「夕食が1日の食事量で最も多く、脂質と糖質も しっかり摂っている」事でしょう。内臓脂肪を蓄えるために わざとやっています。(ドカ食いするのではなく、あくまでも必要量の範囲内で食べるという意味です)

じつはコレ、何十年間も毎日3時間以上の運動していたのに、体重が年々増えていった事実を鑑みて試してみたのです。以前は、「運動するために沢山食べる→運動する→お腹がすく→たくさん食べる」の繰り返しでした。よくハンガーロックになりました。つまり自分は運動時に血中ブドウ糖だけ使って、脂肪細胞を使ってなかったと考えられるのです。
仮説を立てていたんです。「空腹時に2~3時間程度の運動をすれば、体は内臓脂肪細胞からエネルギーを取り出して使う。さらにコレとキツイ筋トレがが引き金になって、皮下脂肪も遊離脂肪酸に分解されてエネルギー源になっていく」 です。

シェイプアップを初めて1ヶ月後には内蔵脂肪が かなり減っていたので、「これは、いけるかも」と思いました。体重は3キロ減。2ヶ月後は体重が5キロも減ってしまいました。2ヶ月で8キロ減です。「うわぁ~、やばい。体重減りすぎ!」(うどんさんは 面倒くさがり屋なので、体重計に乗るのが1週間に1回未満)
減量期に一番困ることは、「脂肪とともに筋肉・骨量とも落ちてしまう事」です。体組織系計で筋肉率の表示を見れば だんだん上がってくるわけですが、これは数字のトリックで 体重が減っているから実際の筋肉量は減り続けているわけなんですよ。だから、そこから体重を わざと増やしてビルドアップをする必要があるんです。すぐにビルドアップを開始。

あ、ガン手術の件なんですが しませんでした。シェイプアップを始めてから7週目ぐらいで、体から赤ちゃんの匂いがしてきてね。「あっ、ガン細胞を押さえ込んだ」って確信しました。その後の血液検査でも、ガン細胞は出てきませんでしたから。
ガン細胞っていうのは、嫌気性細胞(酸素を嫌う)です。全身に酸素を送り込むには、全身の毛細血管の血を入れ替えて つねにフレッシュなものにしておけばいい。それをやるのは心臓ではなく、筋肉です。だから、朝夕に全身運動をする必要がある。

ウォーキングというのは全身運動では ありません。アドバイザーが言うように「腕を振ることによって全身運動になる」なんて、そんな単純なものではない。ネットや雑誌で紹介されている「正しい歩き方」をして、「一歩ごとにブレーキングする、ガニ股ロボコップ歩き」になっている人が けっこういます。不自然で ぎこちない。体の動作が連結されていない。
腕を強く前に振る。この時、肩は前に出します。そして腕を後ろに強く引く時は、肩を後ろに移動させます。肩甲骨が大きく動く時、骨盤が連動して前に出ます。着地したら、足をすばやく引き込み、体重をしっかり乗せて移動する。膝は、まっすぐ前に出さなければなりません。体に「うねり」が生じて、平均台の上を歩くような一軸歩行になります。このような歩き方をして初めて、ウォーキングが全身運動になるんだと思います。

ついでに言うけど、「歩き方」には色んな方法・スタイル・バリエーションがある。エクササイズ・レベルになっていて、かつ自分が心地よい歩き方をするのがいいんじゃないかしら。心のためにもね。必ずしも速く歩く必要はない。また、ダイエットには4~5メッツ強度の運動がいいというレポートがあり、定説になっている。それでスポーツジムのトレーナーは、「走るより歩いたほうが痩せる」と言うのです。5メッツは、階段を登っていくぐらいの運動強度。自分の場合ですが、5メッツで歩いているとユルすぎてストレスが溜まってくる。ゲームマニアがシューティング・ゲームを初心者モードで1時間やれ と強制されるようなもの。だから、自分が「快適」と感じられるとこまで運動強度を上げています。自分の心臓・肺・筋肉が喜ぶようにやるのが一番いい←コレ重要
まあ ガンが治ったなんては思ってないのです。今はガン細胞を押さえ込んでいるだけで、自分は あいかわらずガン患者。だから、シェイプアップ⇔ビルドアップ運動は今後も死ぬまで続けていきます ・・・という事は、死ぬまで酒は毎日1合か!ああ、一升酒が飲みたい (。´Д⊂) ウワァァァン!!

2016年10月17日月曜日

自転車落車事故を起こし、「死んだ~」と思ったけど生きていました(^O^)/

6ヶ月のご無沙汰です。自転車事故で頭を強打し、何時間か意識を失っていたみたいです。意識が戻ったとき、「あれ?まだ生きている」と思いました。メガネが滅茶苦茶に壊れてて、鼻出血がひどかった。そしてスグに また意識を無くし、次に気がついたときはベッドの上でした。
病院ではなく、自宅のベッドです。どうやって帰ってきたのか、全く覚えてません。葉子の写真を抱いて寝てました。無意識の行動です。枕の上に掛けているタオルが血だらけになってたなぁ。それから丸2日間、ずっと眠っていました。
常識のある人間なら ここで病院に行くのですが、うどんさんは変態なので脳みそに こう聞いてみたんです。「病院に行ったほうがいい?行かないほうがいい?」「行かずに寝て治せ」「あいよ」 って事で、頭脳を使うことを止めて2~3日寝てました。
食事は1日カロリーメイト2本と水500mlだけ。カロリーメイトは徒歩1分のスーパーで買ってきた。値段が高くて目ン玉が飛び出た。生まれて初めて栄養補助食品を食べた感想は、「うわぁ~キモい。こりゃ体に悪い化学物質のカタマリだ」でした。うどんさんには化学薬品アレルギーがあるのですよ。でも、ごはん支度ができないので、ガマンして2日かけで1箱食べました。あとは水しか口にしてません。
次の日、訪ねてきた知り合いが、腫れ上がった顔を見てビックリした様子。「絶対、病院行ったほうがいい」「いや、行きたくない」「ダメです。行きなさい」・・・んで、渋々医者に行くことにしたんですが、何科に行けばいいのか迷いました。
とりあえず整形外科に行ってみました。肘・膝も強打していたんで。そしたらドクターに「こういう時は、眼科→耳鼻科→整形外科→脳神経科の順で行くんだよ」と言われ、ほぉ、そりゃ理にかなってると感心しました←アホ。
で、「どこも骨折してないよ」って診断されて、それから家に帰って また寝ました。あとでチラッとメガネ代と残りの医者3件の金額を概算。むむむ・・・そして決めました。やっぱ医者には行かない(≧∇≦)b 
こういうとき金持ちは医療と栄養ある食事で治しますが、ビンボー人は自然治癒力と空腹(つまり治癒力を高める成長ホルモンを出す)で治すんです。10日ぐらい寝てましたかね。
普通に生活できるようになってからも、なるだけ頭を使いたくなかったのでネット遊びとか控えてました。このブログも断り無く小休止した次第ですm(_ _"m)ペコリ
10月になり 後遺症もなく、傷もすっかり癒えたのでブログ再開いたします。
不安はありました。頭を打ったショックで、まともな脳波に戻ってしまったら どうしようかと思ってたのですが、さいわいヘンタイ脳波のままだったので安心しました。鳥さん・虫さんたちや草木さんと、相変わらず情報交換できまする。わはははは。(←キチガイとも言う)
それでは皆さま、今後も宜しゅう お頼もうします。


2016年4月19日火曜日

高知競馬「再生」への足取り

高知競馬のレース実況をする橋口浩二さんは、誠実で紳士的なアナウンスをする人だが、多趣味で音楽にも造詣が深い。高知競馬場の、平場(ひらば)・重賞競走・交流レースのファンファーレは、ともに彼の作曲によるものだそうだ。雰囲気がよく出ている曲風で、曲想に夢がある。思いがある。レース前に馬の戦歴などをつぶさに調べてから、口上を述べる真面目な宮崎県人。未勝利が続く馬に対しては、「このレースで勝てば、○戦目の勝利です」と、律儀に紹介する。高知新聞社の石井研に、ハルウララの連敗記録を教えたのが、この人だった。
(橋口浩二実況アナと別府真衣騎手)
石井は、それを聞き逃さなかった。これは いけると確信したのだろう。前回紹介した写真に、金曜日の夕刊紙面全面をあてがった。ハルウララの記事が新聞に載ると、まず高知県内で話題になった。「これ、もう見ちゅう?」。競馬に興味のない人たちも、それを話題にした。この時、高知競馬の組合管理者をしていたのが前田英博。県庁商工政策課のエースだったが、モード・アバンセ事件(多勢の高知県庁職員が関与した26億4千万にも及ぶ不正融資事件)の煽りで「左遷」され、ここに まわされた。だが、これが競馬界にとっては、幸いした。およそ公務員らしくない、やり手の人物が指揮をふるう事になった。
前田は高知競馬を再建に向け、あれやこれやとトライしていたが、どれも鳴かず飛ばずだった。ところが石井の記事に反応する市民を見て、「この馬、話題になるかも」と閃めいた。すぐさま全国紙とテレビ局へ、例の写真とハルウララの資料を送った。読みは当たった。ハルウララは全国区の人気者になった。不景気の時代に不景気なものが評判になるケースは珍しい。人々は、どこかに地方競馬の持つ「旅情」なり「癒し」を感じたのかも知れない。ハルウララに託(かこつ)けて、高知を旅行してこよう、なんて人が多かったと思う。いろんな所にお金が落ちたから、高知県にとってもありがたかった。
収容人数が15.000人の高知競馬場は、連日お祭り騒ぎになった。そういえば、園田競馬場の実況する人間国宝・吉田勝彦アナウンサーが生まれて初めて競馬を見たのは、町内の「五穀豊穣祈願の日」だったそうだ。競馬場の正面にある神社にお参りに行くのだが、町内の おっちゃんたちは競馬開催日に合わせてバスを借り切る。競馬が主(しゅ)で、祈願は従(じゅう)。豊穣祈願が済むと、バスを待たせて競馬場にまっしぐら。巻き添えを食らう町内の人にとってはムチャクチャに映るが、これもあり。景気回復は、物見遊山でいいのである。
さて、一気に押し寄せたハルウララ効果で、高知競馬場は黒字に転換できた。これで一息付けた。だが同馬の引退後には、また崖っぷちの経営が待っていた。年間売り上げは40億円を割りこむ。有馬記念ひとレースの売り上げが400億円だから、高知競馬の台所事情が いかに厳しいものか想像してほしい。試行錯誤の末、組合は「通年ナイター競馬(全国初)」に最後の望みをかけてみよう、という事になった。これは競馬場が打つ博打である。今後いちどでも赤字を出したら、高知競馬は即刻廃止の約束だから、あとが無い。だが、従業員たちがついてきてくれるだろうか?
設備費の件は何とかするにしても、競馬場の従業員は、高齢者再雇用の女性がほとんどだ。ナイターをやるとなると、勤務は夜の9時過ぎまでになる。生活にも体にも負担がかかる。騎手にしても、レースが終わって家に帰り、風呂・メシを済ませれば寝るのは深夜11時。馬の調教は朝3時に始まるから、これは しんどい。心苦しいまま、皆に相談した。そしたらナイター開催に異を唱える者は一人もいなかったという。全員が「高知競馬を存続させる」という一念で団結していた。
補助金をかき集め、財政調整基金を吐き出し、10%の賞与や賞金の削減も関係者に了解してもらった。背水の陣で、ナイターとネット馬券販売に賭けた。夜間開催の名称は「夜さ恋(阿波よしこの・夜さ来い)ナイター」とした。ハルウララが教えてくれた「弱者の発想」。目玉に、払い戻し率77%の「一発逆転ファイナルレース・3連単馬券」を持ってきた事は、以前紹介したとおりである。上手くいった。「再生」の歯車が、動いた。神さまも、情けをかけてくれたんだと思う。こうして高知競馬は、復興のリズムを掴んだ。
平成21年度~25年度の売り上げは、95億6.900万・101億1000万・109億9200万・119億9.500万・159億200万と右肩上がりに伸びている。サラブレッドの馬産というシステムを鑑みると、地方競馬場が廃止されていくと、馬を買う人が どんどん減っていくから馬産というシステムに歪みが生じる。そうなれば、いい馬・強い馬が作れなくなっていく。地方競馬の踏ん張りが、ようやく世界レベルまでになった日本のサラブレッド馬産を支えている、という見方もできるんだ。

夏の夜空に 花火が散って
夜も眠らぬ 土佐競馬
ビルの谷間を 天馬が踊る
四国高知は 長浜宮田

やってまれ やってまれ
一発逆転ファイナルレース
南国土佐の サムライ駆け抜け
あとは野となれ 山となれ

2016年4月10日日曜日

廃止目前の高知競馬に舞い降りた奇人と、金のないサムライたち

高知競馬場にはハルウララ号の肖像画(実物大)が描かれた壁面がある。全国ブームになった、一頭の負け常習馬。日本馬で初めて国際G1レースを勝ったカツラギエースもセリで売れ残った馬だったが、ハルウララ号の主取りは訳がちがった。競走馬レベルの低い競馬場でなくては、どうにもならんだろうという事で、高知の所属馬となった。だがこの馬が、のちに並みの名馬にもできない経済効果を波及させ、高知競馬場が歩む方向も示唆していくのだから、世の中は分からないものだと思う。
馬券の売り上げもレースの賞金も、全てが全国最低だった高知競馬場。ジャパンカップの賞金総額は6億2400万円だが、高知C3レースの賞金総額は、たったの15万円だ。(賞金 1着 100,000円 2着 25,000円 3着 12,000円 4着 8,000円 5着 5,000円) 膨らんだ累積赤字は88億円。そして2002年、高知県は「競馬場の廃止」を打ち出した。この案を受けて、高知新聞は廃止を促す社説を載せた。ところが、これに真っ向から反旗を翻す男が現れたのである。あろうことか、同じ高知新聞社の社会部の記者・石井研だ。
石井は上司たちから激しい抗議を受けながらも、「高知競馬という仕事」と題する連載を書いた。(こんな事が可能なんだから、高知新聞社はなかなか面白い) その中に、「金のない侍たち」という記事がある。中央競馬から都落ちしてきた馬を、高知の調教師たちが「再生」させ、再び中央の馬たちに勝負を挑むというレポートだ。その記事の内容を織り交ぜながら、文を書いてみる。
(中央競馬の馬運車と高知競馬の馬運車)
中央競馬をはじめ、各地のエース馬が集まってきた佐賀競馬場。2003年2月10日のことだ。翌日はここで交流レースがある。冷暖房完備の「ラグジュアリーDX観光バス」のような馬運車(一頭につき1台)でやってきたのは、中央の馬たち。その横に停められた「場末のオンボロ小型トラック」(旧型の馬運車・乗り合い)の車体には「高知」と書いてある。この「ほろ馬車」でやって来たのが、エイシンドーサン号(高知競馬所属)だ。ドーサンは、かつて中央所属の馬だったが、走れなくなって高知に都落ちした。高知の調教師たちはドーサンを、高知では そこそこ走る馬にまで復活させた。その馬が、勝ち鞍を重ね、出走権を勝ち取って、再び中央の馬たちに戦いを挑んでいく。
(エイシンドーサン号と徳留康豊騎手)
「なんか無謀で、むちゃくちゃで、かっこええなあ。侍やなあ」 取材班の若いカメラマンが、そう言った。中央競馬と地方競馬のジョッキーや調教師の収入は、10倍の差がある。死亡事故の最も多いスポーツである競馬のジョッキーは、中央なら下位クラスでも年収1.000万を超える。ところが、地方競馬になると、下位クラスのジョッキーの年収は、コンビニのバイト代と変わらない。黒船賞(高知競馬の中央騎手交流重賞競争)で、中央競馬の騎手がごみ箱に捨てていったブーツ(乗馬靴)を、高知の騎手が拾って履いている、というのは実話だそうだ。そのブーツとドーサン号が、オーバーラップした。

中央の馬と地方の馬では、まず馬体がちがう。飼い葉(エサ)の質がちがう。付けている鞍の質もちがう。地方の馬でも、中央の足元をすくう事はあるけれど、所詮はレベルが違うのだ。だから、このレースでは、エイシンドーサン号の負けっぷりこそに、見どころ・見応えがあり、真実もあるんだ。
レース当日。出走馬は12頭で、9歳馬のドーサン号は12番人気だった。1番人気は横山典弘の乗る中央馬・カイトヒルウインド。ファンファーレが鳴り、枠入りが始まり、発走体制完了。ゲートが開いた。こういうレースの場合、コアな高知競馬ファンは、ヤケクソのように初めから騒ぎまくる。後方からレースを進めるドーサン号に送る声援に力がこもった。「行けえええ~、エイシンドーサン」「ドーサン、やっちゃれー!」
結果、エイシンドーサン号はエアピエールの9着だった。人気のカイトヒルウインドは6着。だが、ドーサン号は泥だらけになりながら、地方馬2頭・中央馬1頭を、けなげにも抜いてきた。中央の馬には10馬身も先着した。よくやった。調教師は、馬が能力の全てを出せるように調教した。騎手は、完璧な乗り方をした。レースの流れも悪くなかった。馬も精一杯走った。だから、これでいい。力がちがうとは、こういう事だ。環境がちがうとは、こういう事だ。だが、こういう戦いも積み重ねれば、一矢報いることもある。さあ、高知に帰ろうや。帰路に向う「ほろ馬車」こそが、金のないサムライたちの乗る車だ。「金のない」に大した意味はない。「サムライ」に意味がある。
石井の書いた連載は、少なからぬ人たちに影響を与えた。「竜馬の土佐」という土地柄もあったにちがいない。高知県と高知市は、2003年に競馬場に対し、「武士の情け」とも言える処置を施す。県議会は「即刻廃止」から、「黒字経営に転換させる事を条件に、現在の負債88億円は、県と市が肩代わりする」という方向に転換する政治決断を下した。雇用の問題もあっただろうが、これで競馬場の金利負担が一切なくなった。もしかしたら、ほんとうに高知競馬は存続できるかもしれない。関係者に一縷の希望がわいた。
石井は連載を続けていた。そして、2004年6月、高知新聞に「1回はぁ、勝とうな」と書き込みの入った1枚の写真が載った。この写真が、その後のハルウララ・ブームを作っていくことになる。(つづく)