2017年1月20日金曜日

香川旅行記・その2 西讃の旅は、ランダムに

香川は藩廃藩置県の時 高松藩と丸亀藩・他の小さな藩が一緒くたになって出来た県だから、西と東で大きく違う。風土が まるで違うし、文化や方言も違う。しかし、この地にあった藩は、どこも官軍に反抗的であったため、県名と県庁所在地を別名称にされた。明治政府が施した「後世への見せしめ」である。だから香川は「高松県」とならなかった。
でも、まぁ、時代が下ってみれば、そんな事に拘(こだわ)る人もいなくなる。明治は遠くになりにけり。悪くも、良くもね。ただ、昔から変わらないのが、ここは瀬戸内が満たす土地と 女性的なる山々と、それらを抱(いだ)いている平野、そして平野を守る溜池群からなっているという事だ。
撮影 かねしげさん みさちゃん
衣装製作・画像処理 松永亜矢香
コスプレイ あやか(香川)
Special thanks to 香川の猫ちゃん・アオバズクさん

音楽 ナシ族新歌謡「ダングー・ヤオ」
歌手 ダポ・マージ
言語 マンダリン
制作 つめたいうどん(青森)
本州から船で香川に渡ったなら、最初に目に入るのは五剣山だが、瀬戸大橋線で海峡を越えたら、出迎えてくれるのは、ため池群に逆さ富士を映す、飯野山の美麗な姿である。
(丸亀市・坂出市に跨がる飯野山)
「神サマが降りてくる山だね」
ぼくは飯野山を初めて見た時、こう感じた。
香川には、このような「こんもりした山」が多い。海洋プレートが四国南部を押し上げてくるから、北部は海に溺れてく。この造山運動が陸地にも作用し、香川の美しい山々を造っているんだ。
飯野山を観ながら 「はやくここで暮らしたい」と、ムショーに思った。
そして中古住宅物件を探して歩いた。香川で暮らせるようになるのは、まだ10年以上先の話なのに。ああ、のっけから乱れている。気が昂っている。
(奥の家屋と軽自動車が香川っぽい)
丸亀市塩屋町 5DK一戸建て。340万円。築年月、50年12月。あ、これ、いいかも。。。いや、まいねまいね(ダメだ) 丸亀競艇場のスグそばだ。わいはぁ~、恐ろしじゃ恐ろしじゃ。うどんさんはギャンブル命の人だから、ハマれば手がつけられない。でも、亜矢香さまに「うどんちゃん、ギャンブルやめてね」って言われたなら即刻やめる。あ~、酒もタバコもやめる。でもでも、言ってもらえないので、好き勝手している。嗚呼・・・
(あ、全艇フライングだ。レース中止)

「丸亀競艇 生活費に手をかけ 修羅シュシュシュ
廻れば四国は ウインズ ボートピア ケイリン
高知の土佐競馬
いちど嵌(はま)れば・・・オケラだよ」

旅の途中、素寒貧(すかんぴん)になってしまったら、坂出「がもう」の130円うどんさえ食えなくなっちまう。オレは何しに香川に来た?
(うどん屋「がもう」の入り口左側に掲げてある価格表。ジャンクうどん以外では香川県最安値かも)
気を取り直そう。まずは、仲多度郡の琴平公園へ。だが象頭山を観れば、舟券売り場に流れる曲が頭に流れる。
「まわれば 四国は
讃州(さんしゅう) 那珂の郡(なかのごおり) 象頭山(ぞうずさん)
金毘羅大権現(だいごんげん) いちど まわれば」
帰りの汽車賃だけは残しておかねば。篤実に篤実に。ギャンブルやってオケラさなってる場合じゃない。オレは新・香川水道を造りに、ここに来たんだ。さあ、諶之丞さまの気骨に触れてこよう。
ところが最近 大久保諶之丞の銅像を見ると讃岐缶詰の「磯吉ジャム」が頭に浮かぶんだな。140グラム、小さな瓶で864円。この品質で、この価格なら大満足。苺に小原紅みかん(香川だけが栽培してる)、それに金時人参と無花果(いちじく)の4種類。この人 渡辺磯吉さんでしょ?真ん中の、和服を着た人は。讃岐缶詰の創立者。巨大銅像を私費で建てた、大久保諶之丞の研究者。ああ、「磯吉ジャム」をパンさ付けで食いてぇじゃ。ヤマザキの「うんこパン」(と、危険添加物使用食品の本に書いてあった)じゃなくて、自分で焼いたパンさつけで。(オレは気骨に触れたのか?)
何のかんのと やってるうちに、もう日も暮れぬ。予讃線で西へ西へ。さて、今夜の泊まりは、豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)のある観音寺(かんおんじ)市。小じんまりとした藤川旅館は、うどんさんの西讃の定宿。一泊二食で ごっせんえ~ん(5.000円)♪ 宮史郎の歌に出てくるような 家庭的な宿だ

「当館の宿泊料金は安く,お仕事の拠点・四国八十八カ所巡りやご家族の旅行等,何にでもご利用いただけます。」 
と、HPに書いてあったのが、気に入った。「安く」は赤字の太字書き(原文のママ)。
洗濯機・乾燥機有ります。洗濯無料、乾燥機15分100円。旅する身には ありがたい。
(観音寺市にある創業明治40年の老舗・山地蒲鉾(やまぢかまぼこ)が作る「カワジャン」。
パリパリに焼いた鶏皮とささがきにしたゴボウをすり身に練りこんでいる、そうですぅ。1個380円)
夜。安焼酎を飲みながら、旅の短歌を何首か詠む。つまみにしようと思っていた「山地(やまぢ)のカワジャン」は、ギャンブルによる経済破綻のため、忍びがたきを忍ぶ。

という訳で、かあちゃん、今夜もカラ酒だ。カラ酒だけでも、歌なら詠める。最初に詠んだ歌は、こう。
カワジャン食えず 豆腐も買えず 財田川 カラ酒ばかりの香川の泊
七宝見えず 稲積も見えず 財田川 星ばかりなる香川の泊(とまり)
言わずと知れた尾崎喜八「神流川紀行」のパクリです(-_☆)V
ああ、しかし。東讃を旅していた時とは、勝手が違う。東讃は質朴なれど、かっちりしているので、何をするにも狙いが付けやすかった。西讃は自由度が高い分、意思をはっきり持っていないと、散漫になる。ギャンブル場も、競輪・競馬・競艇と揃っているしね。
散漫になったついでに書く。松永亜矢香さまは、西讃の人(丸亀以西という意味)だろう。「田舎育ちで自然大好き(ナコルル・コミケ本より)」というのは、西讃岐地方の事を言っているのだと思う。
 (キャベツ畑に飯野山)
(そして、その付近の溜池群)

想って通えば 千里は1里
逢わず戻れば  何とまた千里

船は出ていく 煙を残す
茶屋の娘が 何と出て招く

来たか時次郎 裏へと 回れ
裏は切戸の 何と開けがらす
(香川県民謡「千本地搗き唄」 歌詞聞き取り うどんちゃん)
今は香川県民謡といえば、お座敷遊び歌の「こんぴら船々」ぐらいしか知られていないが、この「千本地搗(じつき)唄」は、香川県に欠かせない民謡だった。ため池造りの作業唄である。地ならしをする時に歌う唄なのだが、歌詞の冒頭から、ご当地妻を想う相聞歌(ラブ・ソング)になっている。溜池造りを生業(なりわい)としていた土方たちは、大阪・兵庫あたりから、鳴門海峡を越えて出向いて来てたんだろう。唄の歌詞から辿っていくと、そんな事も想像できる。これでフルコーラス・6番までの歌詞なんだよね。この唄は「やれどっこいサノサの やれ どっこしょ」と合いの手を入れる箇所が多いから。
(手作業による香川の溜池造り)

昔は、力仕事の現場は「音頭」を唄いながらやっていた。専門の音頭取りがいて、唄を仕切る。人夫は合いの手を唱和し、リズムを合わせてエンヤコラ。5番の歌詞が、いいねぇ。まるで、遠方からこの地に通う、ぼくの憧憬を唄っているようだ***ヾ(≧∇≦)ノ"***きゃあぁあっ♪
んだども、歌と現実はちがうすけよ。あやか様がぼくを待ってる訳がない。ああ・・・讃州風雪ひとり旅。憎い仕打ちと恨んでみても 戻っちゃこない あの人は~♪ どのにいるのか この町の ひと目だけでも逢いたかったよ~♪ わたしが捧げたその人に 亜矢香だけよと縋(すが)って泣いた・・・おねがい私を捨てないで~♪ そのうち「香川の女」っていう演歌でも作るすけ。(おめぇ、民俗音楽研究家だろ?)

つきましてはバカうどん、亜矢香さまの面影を抱(いだ)きつつ、色気はなくとも実力はありそうな讃岐人を捜しては、人脈を作る精進業を昨日も今日も続けるのでありました。
要人に会うにもスーツになんかに着替えない。うどんさんは子路と同じで、ボロを着てても 全く平気。このへんは高橋延清先生仕込み。香川県庁に出向いたら、応接室ではなく用務員室で待てと顎で言われ、そこで下っ端の公務員に卑下されるなんて、いいねぇ。理想なんだわ。大久保諶之丞は私財の全てを四国新道に投げ打ったため、食事にも事欠き、粗末な服しか着れなかった。新道建設の陳情に赴いた彼が、高知県庁で 受けた扱いが こうだった。偉人がつけた道の後(あと)を辿るに難儀は無い。そしたらぼくは、その公務員に、新・香川水道の重要性を順々と説いてくればいい。
(財田の山、財田城の事・三豊市財田町。中世の土塁城だべ、これは。
八戸にも中世の築山城跡がある。現在の三八城公園)

笑わしゃんすな 百年先は
財田(さいた)の山から川舟出して 月の世界へ往来(ゆきき)する

財田幸五郎の『四国にバカがいた』には、諶之丞が内務省の役人から「田舎者のホラ吹きめ」と罵られた時、にっこり笑い、得意の手三味線で こう唄ったと紹介されている。有名ではあるが、この端唄の解説で、感心するものは見た事がない。だから、ちょっと私見を述べる。
アホ国家公務員が「田舎者」というのは、「香川県人」の事だ。それを諶之丞は、さらに小さく、「香川県三野郡財田村の村人が」と、歌で切り返す。「財田城から川船を出す」とは、讃岐鉄道の事を言っているのだろう。「月の世界へ往来」の部分は、「讃岐鉄道を本州の山陽鉄道と連結させる」と読める。つまり、これは、100年先には四国と本州を鉄道で連結させる大架橋が完成しているよ、という歌なのである。

それに比べたら、四国新道なんて今の時代(明治時代)でも出来るでしょ。あんたもケツの穴、もっと大きくしんしゃい。ベンベンベン~♪

さすが、100年にひとりの怪物だね。近代香川の礎を築いた偉父だね。ああ、カラ酒飲んで、すっかり酔がまわってきた。
このへんで切り上げます。以上、大久保諶之丞と亜矢香さまが完全なる同一線上に並んでいる完全変態(卵→幼虫→さなぎ→成虫と変態する)のうどんさんでした。香川良いとこ、一度はおいで。オリーブ、手袋、和三盆etc。それでは皆さま、おやすみなさい。

2017年1月15日日曜日

香川旅行記・その1 志度(しど)から望む讃州(さんしゅう)五剣山

歌川広重が本州から香川に渡る時 真っ先に目に入ったのが高松の五剣山であったろう
「讃州五剣山」は万延元年(1860年)の作だった この時には もう山に4つの峰しか無かったが
彼の彫った木版画からは その時の感動が伝わってくる
流れの速い瀬戸内の海に 大きく揺れる船
その揺れる船から海峡の向こうに見える五剣山は ひときわ印象的な海の霊山だ

まるで下北半島にある縫道石山(ぬいどういしやま)みたいだね
中世のヨーロッパみたように 山の上に お城があるみたいだね
「まじれす!! ~おまたせリトルウィング~」深空つばさコスプレイ
モデル あやか(香川)
音楽 きしもとタロー「ひらいたひらいた」
撮影 かねしげさん
画像処理 松永亜矢香
制作 つめたいうどん(青森)

Music : Taro Kishimoto "Hiraita hiraita"
Japanese old children song
It's mean "Lotus Bloom",consecutive anima(Buddhism thought)
 今は瀬戸大橋線があるから 船のように波に揺れることなく海峡を越えられる
やんぬるかな 便利になったぶん 味気も失せるのだが これもよい
「常に風雨の憂ひなく 午後に浦戸の釣を垂れ 夕に敦賀の納涼を得る」
丸亀に着いたぼくは 競艇もせで 予讃線から「ことでん」へと乗り換える
東讃へ 東讃へ
ここの線路は よく曲がっりょる
さぬき市志度の鯛屋旅館 ここを定宿のひとつにした
なんたって 宿代が安いから
朝食付きで3.000円 とんでもなく安い
近くには 平賀源内記念館もある
安いのに清潔な宿だ
外人客も多く 八十八ヶ所めぐりの拠点にもなっている
お遍路ショップで巡礼グッツを揃え 楽しそうにコスプレしている外人さんたち
このコスプレを世界に広めたのは あんがい みちのくプロレスの新崎人生なのかもしれないね
だから そこに宗教的色彩は ない
四国の地なら どこでも見かける お遍路装束フル装備を物心ついた時から見ていた事が
コスプレを世界の文化へと昇華させた伝説のオタ入り女子
松永亜矢香さんの原点だったかも知れないね
彼女は「香川」という強烈なるアイデンティティを持っていた
彼女の多彩な表情を育んだのは 郷里の心象風景だと思う
このコスは 香川の空

だから さしづめ
ぼくにとっての香川とは 大久保諶之丞だし 同時に松永亜矢香なんだ

さて 晩めしまでは時間がある 海岸まで散歩に行ってこよう
志度寺から志度湾へ ここから見る五剣山が好きだ
海鳥に混じり ハシボソガラスさんたちが遊んでる
ぼくはカラスさんの鳥寄せをする
意思を混沌としたフラッシュ映像にして カラスさんに投げかけると
瞬時にカラスさんからフラッシュ映像が返ってくる
「子どもは3羽 住処(すみか)は讃州五剣山」
流れの速い みどり色した 夢みたような多島海
その海にそびえる五剣山に 今残れるは峰四つ
ひとつは300年前の大地震で崩れたという
崩落の危険があるので 現在入山は禁止
その お遍路路には様々な石仏が置かれていた
香川なる巡礼山でも 五剣山は讃岐富士系の「こんもりした山々」とは一線を画す
石仏群の中に鎮座する 右手に五剣のうちの一剣を持った 山の守り神像がぼくの目を惹いた
インドネシアの精霊像のようにも見えるじゃないか
顔は怖いが味がある 親しみがある
世の中が便利になりすぎる その前は 誰でも精霊と交信できた
精霊は夢に異形の姿で現れるから その姿を石や木に彫った
海を知るには 山を見た
この精霊像が守を受け持っていたのは 崩落した一剣だったのかも知れない
だとしたら 山を末人(すえびと)たちから守るため わざと崩壊させたんだ
そんな事を思い 志度湾から五剣山を眺めてた
自分は青森県人だと鼓舞するには この五剣山を観れば事足りる
金色の夕景の中 ユリカモメ(Common Black-Headed)さんが ギャッギャッと鳴いた
青森のとはちがい 黒い頭の夏羽してる
彼らにとって 香川の冬は夏なんだ
さあ うどんでも食いに戻ろうや
香川県さぬき市志度1597−10「手打ちうどん源内」 ここの店主から こう聞いた
「釜あげうどん」というのは、うどんが茹で揚がったときに、水洗いをせず、
釜から直接そのままどんぶりに取って 付け汁で食べます。
これが「釜あげ」と「湯だめ」の大きな違いです。
うどんというのは、茹で揚がったその時が一番おいしいのです。
その一番おいしいときのうどんを食べるというのが、 「釜あげうどん」なのです。
ぼくの知ってる限りでは 香川県だけが「釜揚げ」と「湯だめ」を区別している
他県で「釜揚げ」を注文すれば どこでも「湯だめ」が出てきた
「湯だめ」は 玉さえあれば何時でも出来るから

琴電志度 さぬきうどんを食すなら ここがいい 釜揚げうどん650円
だが 同じ志度の「牟礼(むれ)製麺」なら 釜揚げが300円で食えるんだ
チープな店内の家庭料理 うん これも良い
ふところ次第で ぼくの心は よく曲がっりょる
明日は白鳥(しろとり)神社にある棚次辰吉の銅像をお参りをして
高松東部浄水場の下見に行こう
まだ誰も知らぬ「新・香川水道」 これを目掛けて
決められた決勝点は変えられない
気骨が曲がっりょったら まいねぇ(ダメだ・青森弁)すけな

2017年1月8日日曜日

ゲイジュツの判る人

國學院大学夜間部に在籍していた時、柳田國男(やなぎたくにお)民俗学を熱心にやっていた。なにしろ僕が在籍していた頃の教授たちは皆、折口信夫(おりくちしのぶ)・柳田國男両先生の直弟子たちだったのだ。ああ、なんて素晴らしいんだろう。レアな情報が、授業でバンバン聞けた。ありがたかった。自分は、とりあえず『定本・柳田国男集』全31巻を読むことから始めてみた。どの巻も、一流の学者が一生かけて書き上げるような濃厚な内容だったが、それが31巻もあるのに舌を巻いた。

Cosplays : Ayaka (Japan) コスプレイ 松永亜矢香(香川)
日本的名角儿,松永亚矢香 cosplays 明日香 
Angel XX 「あすかのたいそうふく」全100枚
Photographer:Kaneshige 撮影 かねしげさん
Image Processing : Ayaka 画像処理 松永亜矢香
Music : Huole huole huole(火了火了火)
Singer : Wang Rong(王蓉) China 中国
Language : Mandarin 言語 マンダリン(中国語普通話)
Presented by Tumetaiudon (Japan) 制作 つめたいうどん(青森)
そこで、うどんさんは「人生を折りたたんで、いくつにも使う」という方法を学んだ。どうすればいいのか試行錯誤したすえに、坂を転がり落ちる樽みたいになって、行き着くところまで行って、止まったら次に移りゃあいいんだと合点した。うどんさんが、民族音楽研究家・地方学(ぢかたがく・folkloreの事)研究者・料理人・詩人・4輪の走り屋・技術屋・その他と色々やっているのは、柳田先生の影響によるところが大きい。
美術工芸界の仕事も10年くらいしていた。大学のある渋谷に「一枚の繪」という、日本最大の美術商があり、昼間は そこでバイトをしていたんだ。「一枚の繪」で最初に心づいたのは、「佳い絵」と「売れる絵」は違うという事。わぁ~、オモシロイなぁと思った。絵の相場を作っていくのは、バイヤーだ。評論家が褒め称える画家たちの絵が高値になるんじゃない。高値で絵を買う人達が、安定して何人もいるならば、相場が上がっていく。
たとえば、塙賢三(はなわけんぞう)というピエロの絵を得意とする画家がいた。ものすごい多作家で、同じような油絵をドンドン描き、それがガンガン売れていた。値段も安くなかった。ぼくたちは彼の絵を、毎日美術梱包し、全国に発送していた。評論家たちが、この画家に大した評価を与えていなかったにもかかわらず。ところが、この画家が物故になった時、「塙賢三の絵は残ってないか?」「売ってくれ」「高くても買う」という人が続出した。彼の絵は高値で安定し、現在にいたっている。取引相場を暗記しているだけの、いわゆる「鑑定団」レベルじゃ、こんな事は予想できない。理屈や拾った知識じゃ、土俵際では通用しないんだ。「芸術がわかる」とは、こういう流れを感じ取れる感性だとも言える。
さて、去年の暮、館鼻(たてはな)漁港で鳥寄せをして遊んでいたら、1台のデコトラ(decorated track)が目に入った。おお!これは『トラック野郎』のモデルになった、全国でも有名なトラックじゃないか。すぐに近くに駆けよった。カーステレオからは矢沢永吉ではなく、ド演歌が大音響で流れていた。
うどんさんは、このトラックの運転手が近くにいると直感し、あたりを見回した。トラッカーには特有の「顔」がある。スグにわかった。あ、いたいた、あの人だ。角刈りでガッチリした体躯。優しそうだが鋭い眼。「オーナーの人でしょう?わぁ~、すげえなぁ。カッコイイなぁ」 オーナーはゴッツリした(得意そうな)顔をして、「矢沢永吉もかけるけどな、今は演歌をかげでら」と胸を張った。
これから来年(2017年)のカレンダーに使う写真を撮るのだという。うどんさんは このトラックをベタ褒めする。「あんちゃん、芸術が判るじゃねぇか」といった面持ちで、自慢話が返ってくる。トラッカーは純真だ。心が汚れていない。それでいて侠気(おとこぎ)がある。
このオーナー、夏坂さんという。話をしたのは始めてだが、うどんさんはピンときた。この人、どこかの社長だわ。人をたくさん使っている。そんな技量を話しの節々に感じた。楽しい会話の後、「じゃあ、がんばってください」といって握手を求めたら、分厚い手の平で、ぼくの手をがっしり握リ返してくれた。
その夜、うどんさんは「浜の長老」の所へいった。浜通りで「高級やきとり屋」(料金は安い)をやっている女将さんの店だ。お客さんが切れたところを見計らって、「あのトラッカー、どこかの社長だべ?」「うん、○○運送会社の社長さんだ。ウチの店にも何回か来たことがある」
「やっぱり。そんな感じがしたすけよ」「東日本大震災の時にね、よその運送会社が動けないでいた時、あの人のとこは大奮闘したのさ」 そう、大震災の、みなが打ちひしがれていた時に、逞(たくま)しく、なりふり構わず先陣を切った土建屋・大工・運送屋たちは、なんと輝いていた事か。あれで、皆が正気に戻った。だから東北は震災後わずか数日で、前を見て進めるようになった。これが「人生の芸術」なんだ。
痛快な人生を送っていくには、侠気が必要だと思う。女性であっても、そうだ。侠気には人生を変える力がある。
菅原文太大兄は、仙台一校(SS68の進学校)出身だ。部活は新聞部だった。これは、新聞記者であった父の影響だと思う。一級下の部員に井上ひさしがいた。この二人は、名コンビだった。大兄が、教師たちのズルくて卑怯な振る舞いを校内新聞で暴露した時、「生徒のくせに、生意気だ」と教師どもから叩かれ、休学処分・部活停止になった事がある。子供の時から、侠気あふれる人だった。映画界から遠ざかったあとも、農業の大切さを訴え、平和活動に奔走していた。
映画「トラック野郎」に憧れて、トラッカーになった人は多い。この時代の勤務内容は、現代より遥かに過酷だった。それを、トラッカーたちは侠気で乗り越えていた。弱音を吐いたら、男がすたる。「労災」の視点からではない。侠気が理不尽を乗り越えたんだ。こんな任侠は、女たちの世界にもあった。東京オリンピック(1964年)前の建設現場地固め作業には、「お母さんたち」も混じっていた。男と一緒に、キツイ肉体労働をしていた。
「お父ちゃんのためなら、エンヤコラ」 地固め音頭「ヨイトマケ」は、この歌詞から始まる。ぼくは戦前の日本民謡を、故・竹内勉先生から習ったが、先生は「女の人が、こういう事をしなきゃならなかった時代より、今のほうがいい」と伺った事がある。それはそうだが、先生も、今の時代が全て良いと思っていたわけじゃない。「戦後の日本民謡はダメだ」「何でも手間ひまかけず、簡単に、手っ取り早くになってしまった」 だから自分が良き時代の日本民謡を守っていく、という思いから、先生はいつも、「わたくしが、民謡の竹内勉です」と順接助詞を使って自己紹介されていた。
(さちえ・「俺、 松永亜矢香」はなかったの?
あやか・あ~、無かった。残念。
うどん・ちょっと待て、ここにいる!)
あ~、「わたくしが、青森のつめたいうどんです」「わたくしが、松永亜矢香です」 サブ・サイトに「Ole Matsunaga Ayaka」というのがあるんだが、このタイトルの意味は、サッカーのOleではなく、「俺、松永亜矢香」なんだ。投稿機能がうまく作用せず(原因不明)放置してるんだが、近々復活させる。
映画「七人の侍」第一部のラストで、主役の志村喬が農民相手に刀を抜くシーンがある。「待て!槍を取れ!」「己のことしか考えない奴は、己をも滅ぼす奴だ。今後、そういう奴は・・・」 この映画で一番感動するシーンである。
また、映画「三大怪獣・地球最大の決戦」では、金星より攻め来たるキングギドラに対し、モスラが「皆で力を合わせて、地球をキングギドラの暴力から守ろうではないか」とゴジラとラドンを説得するシーンがある。ゴジラ「俺たちの知ったことか。人間はいつでも俺たちを虐めるではないか」ラドン「そうだ、そうだ」
交渉は決裂し、モスラは単身でキングギドラと戦いに行く。そして、コテンパンにやっつけられる。それを見ていたゴジラとラドンは意を決し、参戦する。理屈ではない。モスラの侠気がゴジラとラドンを動かした。この瞬間だ。ゴジラが地球の守護神になったのは。
うどんさんは変わり者なので、これらのシーンに「人生という芸術」を感じる。そして、それが判るためには、侠気が不可欠だと思っている。前にも書いたが、人生の名優・米村喜男衛(よねむらきおえ)に引けは取りたくない。擦文(さつもん)式土器を世界に広しめた、中学校中退の床屋職人。ハイヌリシュ・シュリマン(シュリーマン)と並び称されている津軽衆。司馬遼太郎は、この人を「人生の達人」と讃えている。んだども、わ~、津軽衆さは、負げねぇすけな。それでは皆さま、また来週。